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第29回 竹迫良範 氏 |サイボウズ・ラボ(Cybozu Labs) このエントリーを含むはてなブックマーク

今回は、武勇伝第26回に出て頂いた角谷信太郎氏からの紹介で、サイボウズ・ラボ(Cybozu Labs)の竹迫良範さんにお話をお聞きしました。竹迫さんは、サイボウズ・ラボにて研究開発の実務を行う傍らで、「Shibuya Perl Mongers」の2代目リーダーとしてPerlプログラマのコミュニティ活動を企画・運営したりと、幅広いフィールドで活躍されています。今回は赤坂にあるサイボウズ・ラボさんのオフィスにて、そんな竹迫さんにじっくりお話を伺いました。竹迫さんの「日本のIT業界の将来像」についてのお話は示唆に富んでおり、IT業界に身をおく者として、とても勉強になりました。


竹迫 良範(TAKESAKO) 氏

  • ◆中学校2年生のとき、父親の購入した富士通「FM TOWNS」に触れてコンピュータに興味を持つようになる。
  • ◆高校のころF-BASIC 386 でプログラミングをはじめる。
  • ◆大学では情報科学部に入学。コンピュータサイエンスを学ぶ。(1995年)
  • ◆大学を休学し、広島の外資系コンピューターメーカー子会社にてアルバイトを開始する。(1998年頃) 各種ECサイトを開発。また、Namazu Project に参加する。(2001年頃)
  • ◆大学を卒業後、独立系ITベンチャーの広島ラボに入社。EIPパッケージソフトの開発に従事。(2002年)
  • ◆Shibuya Perl Mongers 1周年記念テクニカルトーク にて"mod_perl における C10K Problem" の題目で講演(2003年)
  • ◆オライリー Perlクックブック第2版の監訳を担当(2004年)
  • ◆Lightweight Language Day and Night にて "ppencode" を公開 (2005年)
  • ◆東京に引っ越し、サイボウズ・ラボ株式会社に入社。(2005年)
  • ◆Shibuya Perl Mongers 2代目リーダー就任 (2006年)
  • ◆Microsoft MVPアワード2008 - Developer Security 受賞(2008年)
  • ◆セキュリティ&プログラミングキャンプ2008講師、
    U-20プログラミング・コンテスト審査員(2008年)


川井:まず、パソコンとの出会いをお聞きしたいんですけど、パソコンに触ったのってお幾つぐらいですか?
竹迫:Webエンジニア武勇伝 竹迫良範氏そうですね、パソコンに触ったのは中学校2年生のときですね。ちょうど父親がFM TOWNSっていう富士通のパソコンを買ったんですけれども、どうやら使いこなせなかったみたいで(笑)
川井:本当ですか?(笑)
竹迫:それが私のところに降りてきたという感じですね。それで、最初はゲームとか、あとはOSに付属しているソフトとかをいろいろ使っていたんですけれども・・
川井:OSに付属しているソフトって、例えばどんなものですか?
竹迫:その当時は、TownsOSという、富士通さんが独自に作ったOSがあったんですけれども、それにTownsGEARというソフトが入ったんです。当時はハイパーメディアという言い方をしていたんですけれども、マルチメディアとハイパーテキストの融合ということで、今で言うとローカルファイル上のHTMLページにコンテンツを自由に配置して、アクションに応じて遷移するようなものがGUI上で簡単に作ることができました。いわゆるMacのHyperCardに影響を受けたものだと思います。
川井:中学生のころに興味をもって、やっていたという感じなんですか?
竹迫:はい、そうですね。
川井:ちなみに、どのへんが面白かったんですか?
竹迫:そうですね、最初は、そのマウスの操作方法とかも分からず、しかも、操作方法とかも誰にも教えてもらうことがなかったんです。
川井:なるほど。
竹迫:なんとなく試行錯誤を繰り返して、使っていたという感じですね。
川井:ゲームよりも、そちらのほうが面白かったということなんですか?
竹迫:そうですね。そもそもお金持ちの家庭ではなく、そんなにゲームをたくさん買うとかっていうことはなかったんです。そのあと、高校の頃にF-BASIC386と出会い、それからプログラムを始めました。
川井:そういうコンピュータとかパソコンの方にすでに興味があったという、理由とか根底にあるものって何かありますかね?
竹迫:あ〜、どうでしょう。機械いじりとかは、好きだったっていうのはありますね。あまり器用な方ではなかったですけど(笑)
川井:では、ハードウェアへのもともとの興味が根底にあったということですか?
竹迫:それは、あんまりないですね。(笑) 分解したり壊したりってことは、あんまりしなかったので。
川井:自然とですか?
竹迫:自然とですね。田舎だったので他にあんまり娯楽がなかったからっていうのもあるんでしょうけれども、パソコンを触っていれば面白かったっていうのはありますね。
川井:何かスポーツしたり遊んだりするよりも、そういうのが好きだったっていうことですか?
竹迫:そうですね。中学時代はテニス部とかに入ってましたけれども、家に帰ったらパソコンをいじるっていう感じでしたね。
川井:ちなみに、今おいくつぐらいなんですか?
竹迫:今年で31になりました。
川井:31ですか。
竹迫:いわゆる1977年生まれの世代です。Six Apartの宮川達彦さんとか、はてなの伊藤直也さんと同年代になります。
川井:すごい世代ですね。
竹迫:ちょうど77年世代の人たちが、大学に行っていたのは1995年ごろなんですよ。そのときは日本の大学でインターネットが結構盛り上がっていた時期で、ちょうどそのインターネットの盛り上がりと一緒に大学のネットワークを使って一緒に成長していった人っていうのがあるので、多分、それが好きでやってる人が多いんだと思います。
川井:分かりました。それでは、本格的にプログラムを始めて、作ったものにはどんなものがあったんでしょうか?
竹迫:恥ずかしい話ですけど、高校時代の面白くない授業のときは、ノートを広げてBasicのプログラムちょっと書いてみたりとか、そういうことはしてました。
川井:まつもとゆきひろさん(MATZ)みたいですね。
竹迫:そうなんですか?
川井:なんか「ノートにプログラムを一生懸命手で書いてやってました。」って言ってました。(笑)
竹迫:そうなんですね(笑)
川井:例えば何か目的はあったんですか?何かを作りたいとか。
竹迫:そうですね、なんかゲームを作ってみたいっていうものはありましたね。高校生の頃は、結構ゲームセンターに通ってたりもしていまして。
川井:なるほど。
竹迫:結構面白いゲームもあったりして、例えばバーチャファイターとか、バーチャレーシングっていうSEGAのAM2研が作ってた3Dのポリゴンのゲームなんですけれども、それが「あ〜、何かスゴい」とか思いました(笑)
川井:あはは(笑)
竹迫:そういうものを作りたいと思って、そのときは、真面目にゲームプログラマになりたいっていうのは思ってましたね。高校2年生ぐらいの頃です。
川井:へぇ〜、そうなんですね。

川井:大学はそういう系統に行かれたんですか?
竹迫:そうですね。コンピュータが専門に勉強できるところっていうのを探したんですけれども、もともと地元が広島で、ちょうど広島市立大学というのが出来たばっかりだったんですね。
川井:なるほど、なるほど。
竹迫:それで、そこに情報科学部というのがありまして、そこで専攻が4つに分かれていて、当時としてはかなり新しいコンピュータ設備があったので、そこにしようと思いそこだけを受験しました。
川井:学校ではどんな勉強をされたんですか?というか、勉強になりましたか?
竹迫:Webエンジニア武勇伝 竹迫良範氏そうですね。大学時代にはじめてUNIXに触ったりとか、インターネットに触ったりとかっていうのをしましたので、大学1、2年生の頃が1番よくコンピュータの知識を吸収したときだと思います。
川井:なるほどなるほど。もうこの頃は、この世界で生きていこうみたいなことは、かなり自分の中では固まっていたんですね?
竹迫:そうですね。そのつもりで大学を選んで入りましたので。
川井:学者とかいうよりは、仕事としてみたいな感じですか?
竹迫:仕事にしたいと思っていました。もちろん、大学の中でいろんなコンピュータサイエンスとかを勉強していて、そういった学術的な分野もかなり面白かったので、アカデミックな道に進む事も考えてはいました。
川井:なるほど。その頃になると、ネットへの興味とか、パソコンの世界への興味っていうのが、自分の中でここが面白いとか、ここが非常に深いなって、いうのがあったんですかね?
竹迫:そうですね。大学時代は数学とかを勉強して、高校までの数学ってのは本当に何の役に立つのか分からないっていうのがあったんですけれども、大学に入ってからの数学っていうのは、実はこういう世界に応用できるんだっていう発見とかがあったりとかして、非常に面白かったですね。あと、一番最初の解析学の授業がいきなりペアノの公理系からはじまったのに衝撃を受けました。自然数や実数というのは人の作った人工数だったのかと(笑)
川井:そうしましたら、数学への興味が深まったっていったということですね。
竹迫:そうですね。大学1年生のときですね。
川井:そうすると、やっぱりコンピュータとかっていうのは、くっついてくるものですよね。
竹迫:そうですね。難しい問題はコンピュータを使って解くみたいなことをやったりしますね。
川井:なるほど。
竹迫:そのときに巡回セールスマン問題というのがあって、いくもの拠点があってそれを最短で巡回できるルートは何かっていうのを求める問題なんですけれども、それが大学1年生の最初のコンピュータ演習の授業のプログラミングの課題で出ていて、そのころにNP困難な問題に関心を持って、図書館で本を読みまくっていろんなアルゴリズムを勉強しました。
川井:じゃあ、数学が結構お好きなんですね?
竹迫:数学は大学から好きになったという感じですね。
川井:面白いですよね。社会に応用できるし、会社経営に応用できるとこも実は結構あったりして、びっくりしました。
竹迫:面白いですね。
川井:やっぱり、その現代の数学教育をみて、僕は非常に問題あると思ってまして、経営の方の芽をつんでいると思うんです。なんとも面白くない授業を中高で展開してる先生が多すぎるという感じがしていて、日本の技術者不足を補うためにはここに手をつけなきゃダメだっていう持論があるんです。(笑)
竹迫:なるほど。
川井:やはり、数学の先生は会社経営した人がやるとか、もしくはエンジニアの方がやるとかしないとじゃないですかね。
竹迫:それは面白そうですね。
川井:本当に、教科書を順番にやってるだけじゃないですか。それだと本当に面白くないですよね。
竹迫:おっしゃる通りですね。学校の先生っていうのは、小学校、中学校、高校、大学に行って、それからまた教師になるっていう流れで、社会に出てない方も多いですし。
川井:そうですよね。
竹迫:ただ僕、高校時代に科学部に入っていたんですけれども、そのころの先生が、企業出身の先生だったので、非常に考え方も新鮮で、その後の人生にいろいろ影響を受けたっていうのがあります。
川井:最近は大分校長先生にサラリーマンだった人がなるとかっていうのが出てきたんで、ちょっと面白くなってきたなって思いますね。
竹迫:なるほど、そうですね。

川井:大学を休学という風に書かれてますけれどもこのへんは何かご事情が…?
竹迫:あ、そうですね。大学3年生を私4年間やっておりまして。。
川井:なるほど。
竹迫:家庭の経済的な事情で大学を一時休学することになりました。
川井:そうなんですね。
竹迫:まあ、どうしてもお金が必要だったので、そのときHPの子会社でアルバイトをすることになりました。そのときお世話になっていた大学の先生が、HP出身の方で、その元上司の人が広島の会社で社長をやっているということで、そこを紹介していただいたんです。
川井:なるほど。
竹迫:そこから、初めてWebアプリを作るということを仕事にしました。
川井:そこでは、どんな環境で、どんなものを作られていたんですか?
竹迫:その当時はHTMLを書くだけで給料がもらえていましたね。
川井:そういう時代ですよね。
竹迫:恵まれていた時代だと思います。まず、綺麗なHTMLを書けるっていうことが、技術として認められていましたね。今ではもう当たり前になっていますけれども。
川井:はい。
竹迫:そこから、ショッピングカートのシステムですとか、受発注のシステムとかを作るってなったときに、JavaScriptとeCookieを使って動的に買いカゴを実現するとか、あとは受発注のメールを飛ばすのにサーバーサイドでPerlを使ってSMTPを直に喋ったりとか、そういうのを始めたのがきっかけになりますね。
川井:じゃあ、Perlをここではじめて使ったみたいな感じですか?それ以前に自分で使ったりとかっていうのはなかったんですか?
竹迫:いや、Perlは多分このときが初めてですね。その頃は、大学ではC言語を主にやっていましたので。
川井:ちょっと意外ですね。竹迫さんっていうと、Perlっていうイメージだからもっと古いつきあいなのかと思ってました。
竹迫:(笑)。Webアプリを作るのにPerlを使いはじめたのが一番最初ですね。それまでは、大学ではUNIXのコンピュータが多かったので、shellとかCとかを使ってやっていたんです。
川井:そうでしたか。
竹迫:会社に入ると、HPの子会社なのでHP-UXのマシンが普通にあったりとか、Windows95、Windows NT3.51があったりとかして、突然いろんな環境で開発しなくてはいけなくなったんです。SunOSとかSGIのIRIXとか、UNIXの場合は一応互換性のある書き方をすれば、Cでも結構ちゃんとプログラミングが出来るっていうのがあって、大学ではX11のXlibを使って、ネットワークで対戦できるゲームとかも作ってたりとかもしてました。
川井:なるほど。
竹迫:でも、全然OSが違うと、やっぱりUNIXのライブラリ関数とかがそもそもないっていうことがあり困りました。あとコンパイル環境も全然違っていたりなどもあったので、Script言語だとWindowsとかUNIXとか関係なく出来そうだなっていうのがあって、それで当時こなれていたPerlを選びました。
川井:なるほどなるほど。じゃあ、学生の頃の経験が、今の筋肉の元になってるっていう感じですよね。
竹迫:そうですね。そもそも大学時代の経験がいまの元になっているって感じですね。
川井:なるほど。そしたら、ちょっとお金を稼がれて、復学されて、無事卒業という感じですね。
竹迫:そうですね。
川井:「Namazuプロジェクト」も学生時代のことなんですか?
竹迫:そうですね。在学中にアルバイト先の会社のイントラネットのシステムで、全文検索のシステムを導入したいというので始めました。そのファイルサーバにパワーポイントとかワードのファイルが何ギガもあるんですけれども、ファイルサーバなのでエクスプローラとかでクリックしても反応が遅くてなかなかたどり着けないとか、開いてみても中身が違ったというのもあったりしたので、やっぱりキーワードで検索すると、そのキーワードが含まれている文書が出てくるシステムっていうのが必要かもねっということで作りました。
川井:なるほど。
竹迫:他にも「Microsoft Index Server」とかも検討したのですが、そのときにオープンソースだった「Namazu」を選んだのがきっかけでした。
川井:そうしますと、アルバイト中にそういったことも経験してるという感じですかね?
竹迫:そうですね。そのアルバイト先の会社が非常によくて、いろいろ好きにやらせて頂いたので、非常に今では感謝してますね。
川井:なるほど。
竹迫:今思うとやはり、自分は本当に子供だったので、色々はしゃぎすぎました(笑)
川井:そうですか。(笑)
竹迫:ほんとに大目にみていただいて、本当に感謝していますね(笑)
川井:まだ、会社は健在なんですよね?
竹迫:はい。もちろん。



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サイボウズ・ラボ株式会社
会社社名 サイボウズ・ラボ株式会社
http://labs.cybozu.co.jp/
代表取締役 畑 慎也
事業内容 インターネット/イントラネット用ソフトウェアの研究開発
資本金 4000万円
所在地

〒107-0052
東京都港区赤坂2-17-22 赤坂ツインタワー東館 15F

資本構成 サイボウズ株式会社100%子会社
サイボウズ株式会社のホームページ
取引銀行 三井住友銀行 飯田橋支店
アクセス

◆東京メトロ 銀座線・南北線 「溜池山王駅」

 12番出口より 徒歩約5分
◆東京メトロ 千代田線・丸の内線 「国会議事堂前駅」

 12番出口より 徒歩約7分
◆東京メトロ 千代田線 「赤坂駅」 2番出口より 徒歩約7分
◆東京メトロ 南北線 「六本木一丁目駅」

 3番出口より 徒歩約8分



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