川井: |
まだこれは愛知県にいらっしゃる頃ですよね。
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天野: |
そうですね。その後に就職した先がタクシー会社でした。
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川井: |
えーっ?!そうだったんですか。ちょうどその頃というと、バブルが弾けたころですよね。
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天野: |
そうですね。もう他のドライバーの話を聞くと、「儲からない」っていう話ばかりでしたね。
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川井: |
不景気になると、タクシーの運転手が増えるっていいますよね。
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天野: |
そうですね。あと自分で会社やっててこけちゃって、タクシードライバーになるっていう人も結構いましたね。
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川井: |
実際やってみると結構大変ですよね?
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天野: |
大変でしたけど、歩合で稼げることが楽しい、と思えました。それまでは時間で働いていくら、という話だったのが、どこで待つかとか、お客さんがいない時間帯を見計らって食事を摂ると、時間のロスが少ないだとか、工夫次第で色々稼げましたからね。
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川井: |
なるほど。これは凄いですね。エンジニアが他業種の勤務体系と比較するってなかなか無いですからね。
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天野: |
あの時タクシー業界に行かなかったら、今こういうことをやってないですね。基本的に人と話すのが苦手で、それでコンピュータのほうに行ったというのがあったので・・・タクシーの運転手になる時は、「人と話すことになる」っていう事が頭から抜けてたんです。車を走らせてお金を貰えばいいんだ、とだけ思ってて、「お客さんと話すことになる」ということに全く気付きませんでしたね。実際に仕事をし始めたら、お客さんに話しかけられるじゃないですか。で、応対しているうちに「あれ? 俺意外と話せるな」と気付いたんです(笑)それまでは人と話すなんて全く出来ないと思ってたんですが、完全にそれが思い込みだったんですよね。タクシーの運転手になったからこそ気付けました。
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川井: |
それは大きいことですね。人と話すのが苦手だと思っているエンジニアにこれを伝えたら面白いですね(笑)
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天野: |
まず人と話す機会を何かで持つのって、いいと思いますね。
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川井: |
なるほど。それは凄く勇気付けられる話ですね。話せない人はまず相手の目が見られないですよね。タクシーの運転手さんはお客さんの目を見なくてもいいから、それが話す訓練になるかもしれないですね。
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天野: |
後ろからなので目を気にしなくていいですからね。
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川井: |
コミュニケーションが苦手というと、まず目のやり場とか、目線の置き場が分からないみたいなんですよ。それでこっちが遠慮して見ないようにすると、すれ違っても挨拶しなかったり(笑)それが、タクシー運転手として後ろから目線を気にせず話せて、克服できたっていうのは大きいんじゃないですかね。
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天野: |
そうですね。あの時はそれで話せるようになって、自分でも本当に驚きました。慣れてくると、結構こっちから話しかけたりもしてましたしね。「今日は雨が降りそうですね」とか。
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川井: |
なるほど(笑)私は大体いつも「日、いくらぐらい稼ぎますか?」とか「何Kmぐらい走ってるんですか?」とか聞きますね。人によって差があって面白いんです。
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天野: |
確かに凄い差があります。走らない人だと、1日に200Kmも走ってないでしょうけど、稼ぐ人だとその倍は走ってますよね。
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川井: |
ずっと駅待ちしてる人だと200Kmも走ってなかったりしますよね。
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天野: |
そうですね。私はそこらじゅう走り回って、無線拾いまくってました。
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川井: |
タクシー運転手は何年ぐらいされたんですか?
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天野: |
丸1年ぐらいだったと思います。最後は体を壊しました(笑)とにかく稼ぎたかったので、稼げる時間帯の早朝と深夜がどうしても外せなくて、朝7時から夜中の3時〜4時までやってたんですね。さらに休日出勤もしてあまり休まずにいたら、段々アトピーがひどくなってきて、痒くて眠れないから更にひどくなるという状態で、最後は喘息になっちゃったんですね。もう駄目だ、と。このペースでは仕事が続けられないと思いました。
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川井: |
それで辞めざるを得なくなったと。
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天野: |
そうですね。その時思ったのが、タクシーで稼ごうと思ったら、とにかく朝から夜中まで走り続けないと稼げないということ。普通に寝て、普通のペースでいたらどうなるかというと、月々初任給程度しか稼げないんです。もちろんボーナス無しです。それでは続かないと思いまして、別の道を探そうと思って辞めました。
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川井: |
そうすると、前の職場もそうですけど、稼ぎが結構大きなファクターになってるんですかね。
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天野: |
最初の会社は、「残業しないと稼げない、でも残業するほど仕事がない」というのがありましたね。実はその会社でも体調を崩したことがあって、それを機にあまり仕事を回してもらえなくなったんです。それまで毎月必ず60〜70時間は残業してたんですが、一度肺炎を患ってしまって、それ以降仕事を減らされて、あまり稼げなくなりました。「稼ぎたい」っていう気持ちはずっとありますね。たぶん子供の頃からだと思います。
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川井: |
なるほど。次はどういう仕事をされたんですか?
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天野: |
タクシー運転手を辞めた後は、ホストクラブです(笑)
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川井: |
凄いですね!(笑)このシリーズ初の経歴だと思います。
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天野: |
試しに水商売っていうのをやってみたくて行ったんです。でもホストクラブは散々でしたね(笑)全然客がつかなくて食えませんでしたよ。半年ぐらいで辞めちゃいましたね。
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川井: |
全然想像がつかない世界なんですけど、いい思いとか出来ないものなんですか?
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天野: |
ただただ大変でしたね。基本的にお客さんは自分で捕まえてくるものですし、指名とかもらえると段々給料が良くなってくるんですけど、何も無いと段々給料も下がってきてしまうので・・・お客さん連れてこないと罰金!だとか(笑)
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川井: |
なるほど。次も楽しみなんですけど(笑)、次はどこに行かれたんですか?
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天野: |
そこを辞めるというか逃げたんですけど(笑)、父が新潟の方にいたのでそっちへ引っ越しました。元々父は新潟出身で、私が22〜3歳ぐらいの時に新潟に家を買って住んでたんですね。
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