川井: |
仕事にしようって考え始めたのはいつぐらいからですか? |
古庄: |
これが結構あとの方なんです。もともとずっと悩んでたのはプログラムの方にいくのか、それとも接客も好きだったので、そちらにいくのかっていうことでした。家庭の事情もあって、高校を出てから大学にいくという選択肢はなくて、寮生活をしなきゃいけなかったんです。それで高校を卒業するときの選択肢が2つしかなくて、街の電気屋さんか伊藤ハム。 |
川井: |
え? |
古庄: |
ほぼ躊躇なく街の電気屋さんを選びまして、寮生活を始めました。接客も苦じゃなかったし、資格もとれるくらまでは、勉強もして施工も一通りできるようになったし、電気屋さんも苦じゃなかったですね。ただ、家電を販売することには必ずしもそんなに興味がなかったりもして、道楽でやってたエレクトーンのこともあって相当悩んでいて、一生、この仕事をやっていくって考えたときに、どうしても縦に首を振れない自分がいることに気づいて。。。結局、電気屋さんは半年ちょっとで辞めさせていただいて、そこからしばらくはフリーターを始めました。 |
川井: |
そうでしたか。 |
古庄: |
あの頃ってバブルの真っ只中じゃないですか。仕事なんていっぱいあって、本当に3ヶ月ごとに仕事を換えてましたね。とにかくまずいろんな経験をしてみたくてというのがありました。 |
川井: |
確かに90年前後のバブル時代ですよね。 |
古庄: |
そう。本当に仕事なんて掃いて捨てるほどあって、そこそこの高給をいただくこともできて。3ヶ月やっては次の仕事やってという感じで、仕事を散らかしてましたね。そのあともかなりおかしなことをしていました。警備員をやっていた19歳のときに、行きつけのお店の店長から声をかけられて、そのまま占い師になったりもしました。 |
川井: |
面白いなあ。何占いですか? |
古庄: |
私は、タロット占いと星占いですね。同業の方からはすごくシステマチックな占いをするって言われます。そこで占いと接客もして、アクセサリーを作る彫金みたいなこともしていました。そこでもやっぱり一生の仕事じゃないなあって思ってて、その後また知り合いの人に誘われて始めたのがホテルマン。フロントに立ってました。25歳くらいまでですかね。 |
川井: |
いったいいくつくらい仕事したんですかね? |
古庄: |
10以上っていうは数えてたんですが、それ以上はわかりませんね。ある意味、いろいろなことをやりたいっていう欲求は叶えられてたんですけどね。ホテルマンをしてるときに、そろそろ一生やる仕事について真剣に考えたいなっていうのがあったんです。占い師も含めて、やっぱりメインで一生やっていく仕事じゃないなって思っていて、そのとき多分プログラムなんじゃないかなってやっと思ったんです。ただ25歳でしたから未経験でできるかって聞かれるとバブルも美しくはじけていたんで、素人考えに情報処理2種の資格もとったりと準備を始めました。パソコンは持っていたので、Officeのver2とかどきどきするものやTurboCとか買ってみたりもしました。触ってみては「わかんねえ!」とか騒いでましたが(笑) |
渋谷の若者向けの店で買ったアクセサリーです(^_^;)「そんな使い方ができるんだ!」
と若いギャルが驚いておりました。 |
|
川井: |
結構ブランクがあって、プログラムの世界に戻ろうと思ったわけですよね? なんか理由というかきっかけがあったんですか? |
古庄: |
それが不思議なことにあまり覚えてなんいんですが、とても自然だったような気がします。学生時代の頃はプログラムって面白いけど仕事にはできないんじゃないかなってどこかで思っていたんです。それを仕事にって考えたときに、あれだけ面白かったんだから仕事に出来るんじゃないかなって逆に考え始めたんじゃないですかね。それで、無事に資格もとって、1社目の面接にいったときに本格的に心に火がついて、本気になりました。 |
川井: |
どういうことですか? |
古庄: |
それまでは半信半疑でやっぱり不安があったんですが、1社目で、「25歳にもなって、これから新しいことを始めるのに怖くなんですか」ってことをものすごく否定的に言われたんですよ。「やめたら」みたいに。カチーンときましたね。「新しいこと始めるのになんで年の関係があるんだよ。本人のやる気だけでしょ」って啖呵切って帰ってきたんです。あの時に自分が本気でこの仕事をやりたいんだなって気づいたんです。それから本格的になりましたね。 |
川井: |
なるほど。そりゃ、燃えますね。 |
古庄: |
でもその次の2社目受かってしまって(笑) なんかちょっと拍子抜けしましたけどね。 |
川井: |
あら、ソフトハウスですか? |
古庄: |
そうです。富士通系のソフトハウスでした。 |
川井: |
どんなプログラムを作られていたんですか? |
古庄: |
入社前には、Cobolの本をドサって渡されていて、読んでみても全然面白くないなあって思っていたんですが、入ってみたらC言語での開発でした。今から考えると1日で組めるよねってものに1ヶ月くらいかけてました。OJTというやつですね。驚いたのは、入社した日に手続きを済ませると、ノートパソコンを渡され、歩いて5分くらいの現場に連れていかれて、「さあ、ここが君の席だから、はいこれ作って。じゃあ!」って言われたことです(笑) |
川井: |
よく、きたみりゅうじさんの本に出てくるような話ですね。 |
古庄: |
まさにあんな感じです。2人先輩がいて、分からない環境があったのはメリットだったんですが、そんな状態だったのに私のスキルシートには「経験7年」と書いてあったのがデメリット(笑) 取材でこんなこと言っていいのかわかりませんが・・・ |
川井: |
全然、問題ないですよ。事実なんですから(笑) これもまたきたみさんの世界だ。でも「あれー」って感じですよね。 |
古庄: |
ありえないですよ。「あんまり素人みたいな質問は小声でね」とか言われました。もうどきどきでしたね。 |
川井: |
それをよく乗り越えましたね。で、その会社には何年くらいいたんですか? |
古庄: |
28歳までなんで、3年間ですかね。そのうち2年間面倒を見てくれた上司がとてもよくて、今でも彼の影響は大きいですね。 |
川井: |
へえ、どんなマネジメントだったんですか? |
古庄: |
基本、放置なんですよ。ただ、何かがあったときに絶対にフォローしてくるんです。だから頑張らなきゃいけないんだけど、不安はなかったんです。出来てないところはいろいろあって、クリックって何?みたいなことも言ってる人だったんですが、底力をすごく持っている方でした。他の人が反対しないような設計についても、いろんな視点でアドバイスをしてくれるんです。1歩下がったところで背中をがっちりガードしてくれる。今でもやっぱりああなりたいっていう理想の上司像ですね。 |
川井: |
なるほど。いい上司ですね。 |
古庄: |
あと、「お前は絶対に独立するだろうから」って言って、クライアントとの打ち合わせから受注、設計、コーディング、プロジェクト管理、テスト、運用まで1通りのこと全部を2年で経験させてくれたんですよ。その経験が今でも生きてますね。 |
川井: |
それは貴重ですね。 |
古庄: |
そうですね、すごかったです。今でもああいう風になりたいですね。そのソフトハウスで一番基礎になる知識が身についたのかなって思います。いかに修羅場をくぐるかも(笑) |
川井: |
さきほどプロ意識っていうことをおっしゃってましたが、やはりそういう体験を通じて醸成されてきたんですか? |
古庄: |
その頃は、がむしゃらに仕事をしてましたが、お金をもらっている以上、若いも年くってるのもないよねって思っていました。もちろん同じクオリティが出せるかどうかの問題はありますが、できる範囲内において、自分の最大限を出さないといけないと思ってましたね。やれといわれたからには、やってみようという感覚が強かったんだと思います。 |