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第10回 前編 きたみりゅうじ氏 作家

今回は、SE出身の作家である、きたみりゅうじさんにお話をお伺いいたします。きたみさんは、フリーランスとして技術本やSE時代の体験を題材にした書籍を多数発行されており、多くの書店で売上ランク上位を記録しています。現在は5つのWebサイト、2雑誌で連載中。その面白おかしく感情表現豊かな独特な作品でSE以外の職業の人々にも幅広く知られています。取材会場は、千葉県の某駅近辺の寿司屋「銀蔵」です。テクニカルサポートとして、Webキャリアの前田道昂氏に同席をいただきました。

きたみりゅうじ 氏


1972年 大阪、寝屋川生まれ。もとは企業用システムの設計・開発、おまけに営業をなりわいとするなんでもありなプログラマ。あまりになんでもありで、ほとほと疲れ果てたので、他社に転職。その会社も半年であっさりつぶれ、移籍先でWindowsのパッケージソフト開発に従事するという流浪生活を送る。本業のかたわらWeb上で連載していた4コマまんがをきっかけとして書籍のイラストや執筆を手がけることとなり、現在はフリーのライター&イラストレーターとして活動中。遅筆ながらも自身のWebサイト上にて1コマ日記や4コマまんがを現在も連載中。

■オフィシャルサイト
「キタ印工房」 http://www.kitajirushi.jp/

■Web連載
「きたみりゅうじのブルルンバイク日記」 http://www.hobidas.com/blog/clubman/kitami/
「Dr.きたみりゅうじの"IT業界の勘違い"クリニック」
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s01300.jsp?p=010
「きたみりゅうじのエンジニア転職百景」 http://tenshoku.mynavi.jp/eng/kitami/
「SOHOの家づくり」 http://blog.smatch.jp/kitami/index.html
「シスタン」 http://blog.ascii-business.com/kitami/

■連載@雑誌
「きたみりゅうじのCBブルルン生活」 http://www.clubman.jp/
「きたみりゅうじの聞かせて珍プレー」 http://gihyo.jp/magazine/wdpress

■著作
「SE・エンジニアの本当にあった怖い転職話 」毎日コミュニケーションズ
「シスタン 〜システム担当者を雑用係と呼ばないで〜 」 アスキー
「Dr.きたみりゅうじのSE業界ありがち勘違いクリニック」  講談社
「会社じゃ言えない SEのホンネ話」  幻冬舎
「パソコンマナーの掟 今さら人には聞けない「べからず!」集」 幻冬舎
「マンガ式IT塾 パケットのしくみ」  技術評論社
「SEのフシギな職場〜ダメ上司とダメ部下の陥りがちな罠28ヶ条〜」 幻冬舎
「改訂版 図解でよくわかる ネットワークの重要用語解説100 」技術評論社
「フリーランスを代表して申告と節税について教わってきました。」 日本実業出版社
「SEのフシギな生態〜失敗談から学ぶ成功のための30ヶ条〜」 幻冬舎
「新卒はツラいよ! 」幻冬舎
「フリーランスはじめてみましたが… 」技術評論社
「図解でよくわかる ネットワークの重要用語解説 」技術評論社
「WindowsXPネットワークスタートアップガイド 」技術評論社
「myShade3で描くカンタン3D 」ローカス
「こんなにできるDaisyArtミレニアムバージョン 」エムディエヌコーポレーション
「フリーランスのジタバタな舞台裏」幻冬舎

■監修
「ドット絵の教科書 」アスペクト

きたみりゅうじ氏最新刊
「フリーランスのジタバタな舞台裏」幻冬舎
2007年12月6日より発売中!!

川井: どうも、こんばんは。本日はよろしくお願いいたします。
きたみ: こちらこそ、よろしくお願いします。
川井: この「Webエンジニアの武勇伝 」は、エンジニアにいろいろな生き方を提示したいと思って始めた企画なんですが、きたみさんみたいにエンジニアだった方が作家になるってとっても面白いなって思っていまして、そういう生き方もあるよってことをメッセージしたいと思っているんです。
きたみ: エンジニア出身の作家さんってもっと有名な方がいらっしゃるんですよ。
川井: そうなんですか。
きたみ: 伊坂幸太郎さんです。直木賞候補にもなっている作家さんなんですが、この人、元エンジニアさんなんです。全然知らなかったんですけど、幻冬社から「新卒はツラいよ! 」って本を出したときに担当の編集者さんからお聞きしたんです。それまでエンジニア出身の作家って珍しいんじゃないかって密かに思っていたんですが、「すごいのがいるんじゃん」って感じになりました(笑)最近だと「陽気なギャングが地球を回す」っていうのを書いていますね。毎年毎年、直木賞の候補になって惜しいところまでいって、来年こそはきっとそうに違いないってわれていますよ。
川井: そういう方がいらっしゃるんですね。それは存じ上げませんでした。
きたみ: いるんですよ。そういう人は作家としての才能がすごいからこそ、元エンジニアとかSEとかそういう肩書きは関係ないんですけどね。
川井: なるほど。
川井: PCとの出会いを教えていただけ ますか?
きたみ: 小学校の4年くらいだったと思うんですが、兄貴が親父にパソコンっていうのを買ってもらおうということになって、僕はよく分らなかったんですが、なんか2人で ごちゃごちゃ話していたんですよ。なんか見ていたパンフレットか何かにガンダムが載ってて、「おお、ガンダムがあるんだ!」って思っ て見ているだけでした。当時、ガンダムのプラモデルがすごいブームだったので、ガンダムのゲームってよくわからないけど、とりあえあ ずそれはやってみたいって感じでしたね。FMnew7とPC8001かな、それとX1のパソコン御三家が競いあっているときだったんですが、当時 そんなの何が何だか知らないんですけど、ガンダムのゲームがいっぱい入っているMSXが一番良かったんですよ(笑) 兄貴とかは当然、も うちょっと上のレベルの話をしているんで、FMnew7を押していましたね。今から考えるとコストパフォーマンスは一番よかったですよね。 で家にそれがやってきて、同級生に兄貴がパソコンを買ったんだよって話をしたら、パソコンのことが詳しい奴が2人くらいいて、いろい ろ教えてくれるんですよ。で、ゲームにはまるようになって行きまして。最初にやったゲームは「フラッピー」って奴でした。
川井: 「フラッピー」ってねずみのゲームでしたっけ?
きたみ: もぐらですね。ユニコーンっていう一角獣と蟹なんだかザリガニなんだか分からないやつを避けながら進んでいくんですよ。
川井: そうでしたか。失礼しました。 やっぱり最初の興味はゲームだったんですね。
きたみ: もう完全にそうですね。
前田: ファミコンとかはなかったんですか?
きたみ: ファミコンは買ってもらえなかったんです。パソコンっていうのは勉強に使えるとか言い訳がたつものだったんですけど、ファミコンとかは思いっきりゲームしかないので、親としては、それはあまり買い与えたくないっていうものだったんで、それでパソコンならっていう話になったんだと思います。 それに実家は商売をしていたので、パソコンならそっちにも使えるという気持ちもあったんじゃないですかね。実際は僕と兄貴のゲーム機 になっただけなんですけどね(笑)
一同: (笑)
きたみ: あの頃はBASICマガジンと か見て、それを打ち込んでゲームをするっていうのはしていたんですけど、プログラムとかいうのはいまいちよく分からなかったですね。 「信長の野望」なんかはゲームの最中にBREKEキーを押すと、コマンドプロンプトが立ち上がって、ソースコードが全部見えちゃったりするんですけど、それを見ても「ふーん、見れるんだ」くらいしか分からなかったですね。この数字をいじると強くなるんだなとかいうぐらい のはありましたけど。
きたみ: 中学くらいになるときに、 FMNew7がFM77AVに化けたんですよ。それも兄貴が親を説得して買ってもらったんですけどね。それも当然のごとくゲーム機になって。。。 でもその時にグラフィックソフトとかがパソコンであるんだなってのは知っていて、FM77AVはグラフィックが動く機械だったんで、「これで画が描けるといいな」というのは漠然とありました。その次の時代からはX68000とかPC98とかの時代になってくるんですけど、そうなる とさすがに親もだまされないんで、家にはそんなの来ないんですよ。本当にやっとパソコンらしい使い方ができるのはその時代からだとは 思うんですけどね。写真を見ながら「いいなあ」って思っていました。
川井: これはいつぐらいの話ですか?
きたみ: それは中学3年から高校くらいですかね。そこからパソコンっていうのはお店で見るものであって、家にあるものじゃなくなりましたね。
川井: お兄さんの力ももう通用しないって感じですね(笑)
きたみ: マウスなんて就職するまで使ったことなかったですからね。
川井: 最新のパソコンが家にはやって こない状況になっても、パソコンへの興味は持ち続けていたんですか?
きたみ: 雑誌だけは見ていましたね。それで「いつか欲しい」って思っていました。実はすごく不精なんですよ。不精なんですけど、画は描きたかったんです。油絵とかにもすごい興味があったんですが、そんな道具を揃える金がまずなかったし、たとえそんなの揃えても、出したり片付けたりするのも面倒くさいじゃないですか。とにかく不精なんで、パソコンだとパソコン自体にも触れるし、パソコンの中でそういう画も描けるし、すごいいいじゃないですか。文章も書きたかったんですけど、だったらワープロも入っているしそれも全部できるじゃんって思って、「欲しいな欲しいな」って頭の中でずっとシュミレーションしていたんです。FMtownsを買ったら、ソフトはこれとこれを買ってとか、68000を買ったらこれとか。。。そうやってシュミレーションするんですけど、どんどん機種は変わっていくんですよね。そのたびに「新しい時代に変わっちゃったなあ」って思ったりしていました。
川井: 書くことは画も文章も子供の頃から好きだったんですね。
きたみ: そうですね。画をちょこちょこ描いていたのは中学校までくらいですね。でも中学校の時に「こんなことばかりしているとアレだな。他のことにも目を向けなきゃだめだな」って思ってしばらく止めました。
川井: やりたかったけど、止めないとっていう強制力が働いたって感じですか?
きたみ: うーん、そこまでの執念があったわけではないんでしょうね。何かと自分についてよく思うんですけど、中途半端なんですよ。だからオタクの人なんかすごいと思い ますよ。「これやるぞ」って決めて、周りの目とかなんか関係なしにとにかくそれだけ突き詰めていってっていうのは本当にすごいですね。大人になればなるほど、そういう専門性を持つ人って輝いて見えるじゃないですか。なんかそういうのはもっとやるべきだったよなあっ ていうのは自分の昔を見て思いますね。
川井: 確かに「追究している人」って、すごいなあって感じますよね。
川井: エンジニアの世界って、何も知 らない人からオタクっぽいとかも言われたりするじゃないですか。きたみさんの描いている作品って、そういうエンジニアの本当の世界を 世に知らしめているって意味ですごい貢献されていると思うんですよ。
きたみ: どうですかね。中には、この人の漫画のせいで業界に人が来なくなるっていう人もいますからね。
川井: エンジニアのなり手がいないってことですか?
きたみ: この人の本を読んで、その後にSEになりたいって人いるのかなって(笑)そういう風に恨まれているんじゃないの?っていう人もいますよ。
川井: 私、エンジニアが主人公のドラマを作りたいんですよ。それを月曜日の9時から放送するんです。勿論、主人公のエンジニアはキムタクに演じさせて、「顧客と戦うエン ジニア!」っていうのを描きたいんですよ。そうすれば、どうしてエンジニアが徹夜することになっちゃうのかとか、いかに顧客の発注の仕方が悪いかだとかって世に知らしめることができると思うんですよね。この社会を便利にしているのってエンジニアの力だと思うんです が、なのに脚光を浴びてないじゃないですか。なので、もっともっと表舞台に出れるようにしてあげたいんですね。そういう意味では、きたみさんの描かれているものって、私のやりたいことに通じていてとても共感できるんですよ。それに実話じゃないですか。
きたみ: でも、実は、古い話なんですよね。あれが今も実態って言われるってことは変わってないってことですよね。
川井: 変わってないと思いますよ。
きたみ: 労働環境が変わってないっ て意味で、みんな変わってないって言うんですけど、もう一つ、働く側の意識も変わってないんだなあって感じますね。僕らが一番仕事に 燃えてた新入社員時代って1996年くらいなんですが、その頃もプログラミングをやってて、これは無駄な作業だなって思うようになってい たんですよ。プロジェクトが終わって、新しいプロジェクトが始まると味噌の部分までに辿り着く前に、毎回同じものを作るじゃないです か。また同じような設計して同じようなコーディングをしてやっとそれが全部終わってから今回の味噌のここに入れるみたいなのがバカバ カしいいんですよね。こんなことやっている業界って他にないんですよ。大体共通化するものは部品になって、その部品に関しては専門知 識のない人でも組み合わせれば、ぱぱっとできるようにならないとおかしいよねって思っていましたね。オープンドッグとかマックとかMSがそういう方向に向かおうとしていたはずなんですけど、向かっているようで向かっていないそのままの世界が未だにあって、アセンブラ レベルまでがーっと見て作りこむのがえらいっていう技術屋さんがいたりとかするんですよ。まあ、僕も「メモリーくらいはわかんないと 駄目だよ」みたいな考え方が根っこにあったりするんですけどね。
川井: 確かにそういう方は多いかもしれません。
きたみ: 例えば「あなたの仕事はなんですか?」って聞くと「コーディングです」とか「プログラムを組むことです」とかって答える人が多いんですけど、そういうなんか小 さな部分の話だけするのって、この業界だけなんですよね。業界を離れてみてそれはすごく感じますね。バイク屋さんに行って、バイクの 修理をしている人に「どんな仕事をしているんですか?」って聞いて、「俺はすごいスパナを使っているんだ」とかそんな答え方、絶対しないじゃないですか。バイクのどこをどういじるとかそんな話もしないですよ。バイクを修理するんだってそれだけですよね。SEの仕事っ て、「仕事を便利にするためのソリューションを提供する」ことなんですよね。新しい技術を研究すること以外は、そのソリューションを作ることが仕事なはずなのに、何故かその人たちの言うのは、「C言語知らなきゃ駄目だよ」とか「アセンブラ知らなきゃ駄目だよ」とか、 そんなじゃあ、スパナをスナップオン使ってないから駄目だよとか言うの?って感じなんですよね。なんか大きなものを見ているはずが、 小さなところに目がいっちゃって、その小さなところの話が分からないのは、「あいつは技術が分かってないから駄目なんだ」ってことに なっちゃうんですよね。なんか違うんじゃないかなって感じますね。そういう小さいところの話が今でも通じちゃうんで、僕の書いているのが実態って言われるんですけど、なんかそのまま変わってないっていうのは業界として不健全じゃないかなって思います。
川井: 確かに不健全ですね。本質的にはまったく変わってないと思います。
きたみ: もうプログラマっていらなくなるよねって話を1995年とか1996年頃にみんなでしていたんですよ。要は新製品とか新技術を一部の上の人だけが作って、そうじゃない ところでは、それこそ部品を組み合わせて、JISみたいなになったっていいだろうってことだったんですけど、その議論はどこにいったんだ ろうって感じですね。家内制手工業と機械化という話に例えてよく話していましたけど、この業界は産業革命が起きないですね。何か作り たいときにどう作ると効率がいいかってことはいろんな新技術とかが出てきて、よく議論されていると思うんですけど、ある仕事をどうビ ジネスロジックとして落とし込むかっていうここの部分ってあまり聞かないんですよ。でも一番大事なのはそこだと思うんですよね。そういうのを突き詰めていくと、SEだプログラマだっていってもプログラミング自体の話はあんまり重要じゃないって思いますけどね。でも、この話って反発する人は反発するんですよね。
川井: そうですね。でも本質なんですけどね。
きたみ: YahooとかGoogleみたいに 技術を売りにしている会社なら、価値観はそれが一番でいいと思うんですけど、そうじゃなくて芸術家なら芸術家の職場にいけばいいのに 、工場で機械作っている一人なのに、「なに芸術家を気取ってんだよ」って思いますね。
川井: 会社側のマネジメントにも問題 はありますよね。若い頃は「技術だけやってればいいから」って他のことを見せたり覚えさせたりしないでおいて、30歳近くになってくると、急にリーダーをやれとか言い出して、35歳になるとマネージャーができないんならもういらないみたいに掌を返すじゃないですか。きたみさんは本の中で「35歳棚卸し」が大切って書いていましたけど、私は「20代棚卸し派」なんですよ。20代のうちにどの方向に進むのか 決められるといいなあと思いますね。
きたみ: 僕もサラリーマン時代、若手の面倒をみるときに、最初に聞くのが、便利になるシステムを作ってお客さんに喜んでもらうっていう道と、新しい技術を突き詰めていって、俺は一生技術屋だよって道とどちらの方向に行きたいのかってことでしたね。それによってこっちも振る仕事が変わってきますからね。それを早い時期にはっきさせ、技術屋としてやっていきたいのに会社にはそんな仕事はないよっていうんであれば、早い時期に教えてあげて、理想的には自分自身で創り出すっていうのがいいんでしょうけど、現実的には他のそういう仕事がある会社に移った方がいいですよね。その辺をごまかして、「いつかそういう仕事もできるから」って口先だけで言って、いいとこだけ使おうって会社も確かにありますね。
川井: 適性とか能力的な問題もありますから、それも含めて決めさせてあげたいんですけどね。
きたみ: そうですね。中には、技術屋になりたいって言っているけど、そういう会社に移るかといえば移る度胸はないのに、今いる会社の中では俺は技術力がある方だって威張っている人もいますが、あれは卑怯ですよね。マネジメントとか泥臭いところは周りに押し付けておいて、自分は美味しいところだけとったりしたり。またバイク屋の話になりますが、接客はやらないでエンジンだけいじっているバイク屋なんていないですからね。それはやっぱりわがままなんですよね。それがしたければ自分の価値を高めて、ワークスマシンをいじれるようなところに行けばいいと思うんですよね。こういうことを言うと「技術のことを分かってない」って怒りだす人がいるんですが、ちゃんとステージを分けて、一般的にSEって言われる会社の話ですよって言った上で、あくまで研究職を除くっていうエクスキューズをしているのに、そういうのは見ないんですよね。
川井: どうしても技術のところに反応しちゃうんでしょうね。
きたみ: 僕も本音のところでは、技術にどっぷりつかって遊ぶというか、そういうことだけやるのって好きなんですよ。もともとこの世界に入ってきたきっかけっていうのは 、やっぱり当時はネットスケープとかあの辺に憧れるとかAppleの創業のガレージがとか、そういうのがあるとは思うんですよ。でもこっち はそういう文化じゃないですからね。シリコンバレーとかいくとマイクロソフトみたいな大きいのもあるんですけど、そこからちょっと脇 の通りまでいくと長屋みたいなものがあって、それがベンチャーっていうか、「こういうのを創るんだ」って言って頑張っている人たちのアパートみたいになっているんですよ。みんな、そこで何かを創っていて、そこであてた人が大きな会社が並んでいるところにいくんです 。そういうのは純粋に面白いと思いますよね。あと、あっちでは、会社を創っても潰すことって簡単にしちゃうみたいですね。日本だと信 用がどうこうというのがあって難しいみたいなんですけど、あっちでは会社を創って夢をおいかけて、駄目なら駄目、あたったら「わーい 」っていうのをとにかく繰り返すんですよね。そんな話を同じように夢に向かっている人たちと煙草吸いながらするっていうのはいいなあって思いますよね。
川井: そうですね。楽しそうですよね 。
きたみ: あちらさんってFPSゲームとかも好きじゃないですか。ドゥームとかクエイクだとかをLANでつないで遊ぼうぜ、ヤッフー!みたいなことになるわけで、「いいなあアメリカ」みたいになりますよね。気候とか空の青さとかも日本と全然違って、ちょっと外に出たら自然で目に優しくて、散歩でもしようか なって気分になるし、通勤も車ですぐだし駐車場もあるし、全然違いますよね。これが日本だとそんな夢みたいなことを語っても、結局サラリーマンやって、通勤電車でぎゅうぎゅうになって、家とか買っても明日からあっちとか言って異動させられたりとかなのに、それでい てシリコンバレーみたいなこと語ってもしょうがないですよね。昔、ビットバレーっていうのが渋谷であったじゃないですか。あれは腹が 立ちましたよね。全然違うじゃんって。
川井: 確かに、全然違いますよね。完全に話題造りだった感じがしますよね。
きたみ: そういう意味では、ジャストシステムって、すごいいいなあって思うんですよね。絶対に東京に移ってこないじゃないですか。この前、「シスタン」って本の対談で 、サイボウズの青野社長といろいろ話す機会があったんですけど、ジャストシステムっていう会社は、ひょっとして日本のソフトウェア産業では、はじめて地場の企業になれた会社かもしれないですねって言っていたんです。トヨタとかマツダでもみんなお膝元を持っていて、 みんなの雇用を支えているんですよね。ソフトウェア産業ではこれまでそういう企業がなかったんです。ジャストシステムって会社はひょ っとしてそういう会社なのかもしれないですよね。サイボウズの青野さんも夢はそこにあるって言っていましたよ。
川井: 確かにジャストシステムさんのメインの開発部隊は徳島を動かないですよね。
きたみ: あそこまで動かないと「頑張れ!」って応援したくなりますね。
川井: Rubyを開発された、まつもとゆきひろさんも松江で落ち着いていますよね。ネットワーク応用通信研究所っていう会社にいるんですが、松江では「地域資源」とまで言わ れて出れない雰囲気もあるって笑い話で言っていたりもしますけどね。最近は地方公共団体が結構動いていますね。Rubyに関してだけでも 、九州はかなり盛んだし、横浜、三鷹みたいなところでも動きがありますね。それって、きたみさんや青野さんの言っていることを後押しする動きにつながるかもしれませんね。
川井: ちょっと話が脱線して相当膨らんでしまったんですが、その後のきたみさんのお話をお聞きしたいと思います。大学くらいからお話いただいてもいいでしょうか?
きたみ: 大学は、理系で動力機械なんかやる学部に行きました。車のエンジンとかですね。授業にはあまり出ていなかったんで、お話できるようなことは何もないんですが、 たまに黒板とか見ると、ドリフトはこういう原理で起きるとかそんなことが書いてあったのを覚えているくらいですね。
川井: 車が好きで、はじめからそういう方向にって決めていたんですか?
きたみ: いえ、実は高校のときに早く家を出たかったんですよ。付属高校だったので、エスカレーター式に大学にいくと必然的に関東の大学になるんで、それなら間違いなく 家を出れると思ったんです。本当は、その時に美術の勉強がしてみたくて、美術学部にいきたかったんです。でも、たぶん就職先がないだろうなって思ったんですよね。親のおかげで大学までいって、一人暮らしもさせてもらって、更に就職先のないようなものを勉強するって いうのは、ありかなしかというとなしだろうなって思いましたね。で、その当時は自動車産業が貿易黒字で外国から怒られるくらいに景気が良かったんですよ。車だったら嫌いじゃないし、じゃあ、そこかなって、そういう感じでしたね。でも何にでも転用のきく電気工学科と かは人気があったんで、成績がよくないと行けないんですよ。僕は高校入ったあとは一切、勉強しなかったんです。本当に勉強しなくて、たまに公式1つ覚えると試験範囲をまかなえるようなことが物理とかだとあるんですけど、そういうときだけ勉強するくらいだったんです 。なので、物理なんかだと4点のときもあれば98点の時もあるくらい差が激しかったですね。
川井: はあ。そりゃ、えらい差がありますね。
きたみ: そんなことをやっていたので、エスカレーター式でっていうときに成績がいい順にはめられていくんですが、僕にとってボーダーラインぎりぎりで受けられて、興味 のある分野は動力機械だけだったんです。その動力機械も本当は全然入れなくて、3年生のときに普通だと1次面接、2次面接っていう流れで進路面接があるんですけど、その前に1部の成績がひどい人だけ、0次面接っていうのがあって、推薦できる学科がないくらいやばい奴だけ 呼ばれるんですよ。3年に上がったタイミングで僕はそれに呼ばれて、親の前で成績をくそみそに言われちゃったんです。事前情報で1、2年よりも3年の点数の方がウェイトが高いって聞いていたんですけど、何しろ無理だからってことで、3年でどれくらい頑張ったらなんて話に ならないんですよ。それで、1年間、学年で毎回テストが50位以内に入っていたら行けますかって聞いたら、「そりゃ行けるけどさ」って笑われたんです。それで奮起して1年間、50位以内に入り続けました。試験範囲とかが決まっていない実力テストなんかでは7位とかにまでなって、このときだけは自慢しましたね(笑)
前田: 2年生までは何位くらいだったんですか?
きたみ: 250人いたら、220位以下でしたね。僕の下にはスポーツ推薦の奴しかいなかったですからね。
川井: なるほど。それで無事に大学に入られて、それからどこの時点でエンジニアっていう方向に転換されたんですか?
きたみ: 就職活動のときですかね。パソコンはずっと欲しかったんですよ。バイクも好きでパソコンとバイクの雑誌は片っ端から見ていましたね。大学でもやっぱり勉強しな かったんで成績は無茶苦茶でえらい苦労しましたね。
川井: 理系の就職はやっぱり成績なんですよね。
きたみ: そうですね。まずは学校推薦ですよね。動力機械ってものに応じた就職先だと学校推薦専門になってきて、学校推薦で受けられるところに学校推薦以外で受けようとすると学校推薦を選べないレベルに違いないって思われて、窓口自体が閉ざされちゃうんですよ。僕の時代はさらにバブルが崩壊して、冷え込んだ時だったんで、大手の自動車メーカーなんて就職がなかったんですよ。それで自分で就職先を探さないといけなかったんですが、 友達の協力を仰いだりしながら経済とかも勉強して、中国がらみかコンピュータ業界かどっちかかなあと思っていました。これからは自動車だろうとなんだろうとコンピュータを積むようになるだろうし、ソフトウェアなら間違いないなっていうのと、パソコン雑誌はずっとみていたので、その中でAppleとかへの憧れもあったし、それでソフトハウスに進みました。
川井: なるほど。それで会社に入ってからはどういうことから始めたんですか?
きたみ: 研修でやったのはC言語でしたが、業務ではHTMLからですね。
川井: 最初からWebの世界なんですね。時代的にはそういう時代でしたっけ?
きたみ: いや、95年なんで、Webをやっているのは相当早いと思いますよ。世の中、インターネットとか知らない人の方がまだ当たり前でしたからね。
川井: 何年くらいいらっしゃったんですか?
きたみ: 3年半くらいですね。
川井: どうして移ろうと思ったんですか?
きたみ: 会社の将来性ですかね。というかやっている仕事内容の将来性というか。。。会社の独自言語を作ってそれで開発をさせられていたんで、このままやっていても技術的によそで通用するものは育たないなって思いました。それと、自分でホームページを作って4コマ漫画を載せたりもしていたんですけど、そういう会社以外の自分のためにやっている投資が全然できなくなっちゃったんです。そうすると、自分のための投資もできないし、会社でやらされていることに将来性はないし、しかも常務、すげえ腹立つし、給料もよくなかったですから、もう嫌だなあって。
川井: それで東戸塚の会社に移られたんですよね。ちょうど東戸塚にビルが建ち始めた頃ですね。本で拝見したところ、この会社はすぐに傾いちゃったかと思うんですが、入る 前はそういう感じはまったくしてなかったんですか?
きたみ: まったく分りませんでしたね。人事の人でさえもまったく知らなくて、清算されるってことが発表になった直後に僕のところにすっとんで謝りにきたくらいでしたか ら。トップクラスで知っていた人とあとで話したら、「知っていても言えないじゃん。現場が欲しいって言ってるものを駄目って言って、 理由を聞かれても困るしさ」って言っていましたね。
川井: まあ、それはそうですよね。これは、もう巻き込まれたって感じですよね。
後編へ続く
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