川井: |
早速ですが、PCとの出会いなどお聞きしてもよいでしょうか? |
増井: |
中学の時です。科学部にあったMSXをいじっていました。 |
川井: |
やっぱり中学の時ですか。本格的にやられていたんですか? |
増井: |
いえ、本格的にやりはじめたのは、高校に入って親にMSXを買ってもらってからです。Basicやアセンブラで組んだプログラムをMSXFANみたいな雑誌に投稿していました。 |
川井: |
その頃から雑誌に投稿とはすごいですね。 |
増井: |
高2くらいからは仕事にもしていました。カメラ屋にバイトで入ったんですが、履歴書にコンピュータが得意と書いてしまったら、いきなりプログラムの仕事をしないかって話になったんです。そこでやったのが始めての仕事ですね。 |
高瀬: |
どんな言語で開発されたのですか? |
増井: |
当時、Postgresqlの様なデータベースやExcel等がなくて、dBASEと言うデータベースや、 Lotus 1-2-3のマクロなんかを使って、日報管理システムや発送伝票を打ち出すシステムを作っていました。 |
高瀬: |
Lotus 1-2-3!凄く懐かしい名前ですよね(笑) |
川井: |
しかし、やらせる方もやらせる方だけど、できちゃう方もできちゃう方ですね(笑) |
増井: |
親父からは、なんで俺の小遣いよりお前のバイト代の方が高いんだ? って文句言われてました(笑) まあ、タイミングもよかったんですかね。その頃にカメラ屋に出入りしていた会計業者にも頼まれて網走まで飛行機で出張して仕事をしましたね。 |
川井: |
すっかりビジネスですね。高校生なのに! |
増井: |
そうですね、早い段階から仕事にしてしまっていたのもあって、今でもあまり趣味とかではできなくて、仕事だって状態にしないと馬力がでないんですよ。 |
川井: |
健全ですけどね。困るときもあるでしょうね(笑) その後は大学に? |
増井: |
高校が工業高校だったので、旧第二情報処理技術者(基本情報技術者)も持っており、北海道工業大学の推薦も受けられたんですが、さすがに男子高みたいなところから男子大学みたいなところに行くのは抵抗がありまして……文系の大学にいきました。 |
川井: |
なるほど。切実な問題ですね。で、成果やいかに? |
増井: |
妻をこの大学で見つけました。 |
川井: |
そりゃ、大きい成果でしたね(笑) でも文系の大学だとコンピュータやプログラムの勉強はあまりできなかったんではないですか? |
増井: |
そうなんです。そういう授業が情報処理概論というのしかなくて授業ではほとんど習わなかったですね。たまたまというかその情報処理概論の教授がコンピュータが好きで、研究室にコンピュータがあったんです。毎日のように通い詰めて、そのうちに鍵をもらって寝袋を置いて、泊り込んでいました。 |
川井: |
それはありがちな話ですね。 |
増井: |
その教授が、経営とコンピュータをテーマに講演をよくしていたので、一緒に飛び回って私も講演したりしていました。どうも人よりやることが少しずつ早いみたいなんです。 |
川井: |
他に面白いことはありましたか? |
増井: |
アルバイトは月に450時間やったこともありましたよ。月に70万は稼いでましたね。 |
川井: |
そりゃ、すごい。どんなバイトを? |
増井: |
ゲーム会社でもバイトしていましたね。アセンブラやC言語でガリガリと書いていました。 |
高瀬: |
凄い!アセンブラから弄られているんですか? |
増井: |
そうですね、Z80やi386、MIPS、PowerPCなど、大体のCPUは扱えます。 |
高瀬: |
非常にコアな所から弄ってらっしゃるんですね。ちなみに、どういったゲームを作られたんですか? |
増井: |
凄くマイナーなゲームで、作ったけど結局お蔵入りになった物もありました。元々が3DOのゲームの移植だったりして、その時点で売れるか売れないか分かるかなと(笑) |
高瀬: |
3DOですか。確かに知り合いの中でも持っていた人間は居なかったですね。 |
増井: |
マイナーですよね(笑)なので、作っている最中に『これは売れないだろう』と思っていたのですが、実際に発売してみると案の定売れない……(笑) |
川井: |
増井さんもゲームお好きなんですか? |
増井: |
あまり好きではないですね。元々ゲームをやらないものだからすぐにゲームオーバになっちゃって、自分で作っているので、どうすればクリアできるかわかるけど、動かせなくて上手く進めないから、自分ではこのゲームが難しいかどうかわからないんですよ。だから作っているときには、ゲームが得意な友人にやってもらって、簡単にクリアできるかとか難易度が問題ないか見てもらったりしていました。 |
川井: |
パソコン通信とか盛んな時期だったと思いますが、そちらの方は? |
増井: |
勿論やっていました。北大の人とかとよくOFF会をしたり遊んだりしていましたね。でも大学で普通にコンピュータをやっている人たちとつきあってて、大学で勉強する内容がたいしたことないなって思っちゃって。だから、大学は文系にしたんですけども(笑) |
川井: |
ずっと北海道なんですよね? その後は? |
増井: |
札幌生まれの札幌育ちです。動くのが面倒だし、いつもオンラインで仕事をしていたので、不便さも感じなかったんです。その後、大学5年生のときに会社を作りました。友人2人と立ち上げて、多いときには社員5人になってました。結構大手のクライアントがついていたんですが、営業も経理も全部自分でやらなくてはいけなくて、にっちもさっちもいかなくなって、会社を閉じたんです。 |
川井: |
他の仲間はつらかったでしょうね。 |
増井: |
そうですね、でも皆、自分でフリーランスとしてできるからってすんなり同意してもらえました。 |
高瀬: |
会社を畳んだ後は、増井さんはどうしていたんですか? |
増井: |
今まで会社でもやっていたようなWebの仕事以外に、組み込み用のボードでLinuxを動かせるように移植の仕事をしたりと色々な事をやっていました。元々趣味でPDA上でLinuxを動かしたりしていたので。 |
高瀬: |
そうすると、カーネルを作り変えたりLinux自体の作成もされていたんですか? |
増井: |
そうですね。でも、大体は起動時にモジュールで詰まっている所を解決してあげたり、ドライバを書いたりして解決できる問題がほとんどだったので、カーネル自体は余り作り変えなかったですね。 |
高瀬: |
凄い、PS3とかだと、良く聞きますがPDAだと難易度が違うでしょうね。 |
増井: |
その辺も、結構ブログに書いてあったりするので情報を調べて結構対応できますね。その話題の、PS3にもインストールしました。実は連載していた雑誌の編集長から発売当日の夜11時ぐらいに電話が掛かってきまして、編集長から電話が掛かってくるなんて普通考えられないものだから何なんだろうと……。びくびくしながら出てみたら『北海道にPS3を売ってる店があったので買ってきてください』と(笑)雑誌の記事でPS3にLinuxを載せようとしたけどPS3が確保出来なかったみたいで、なので言われた店に行って自分の分と頼まれた分で2台確保して、結局自分もLinuxをインストールしました(笑) |
高瀬: |
そういえば、こちらに来る前に母里さんから伺ったんですが、iPhoneを購入されたんですよね? |
増井: |
はい。アメリカに知り合いが居まして、その人にiPhoneを買ってもらって送って貰いました。 |
高瀬: |
おお、動きが滑らかですね。私も似たような物で最近e-mobileを購入したんですが、ブラウジングはやっぱりスムーズですね。 |
増井: |
W-ZERO3も、e-mobileも買ってます(笑)どんどん自分の周りにデジ物が増えていっていますね(笑) |