川井: |
本日は、Webエンジニアの武勇伝ということでお願いいたします。
趣旨については、メールでも触れましたが、
弊社の行っているエンジニアのキャリア支援事業の一環として、
「エンジニアのためのロールモデル」を提示したいと思っておりまして、
トップエンジニアの方々のインタビューを通じて、
そのヒントを提供できればと思っております。
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仙石: |
なるほど。こちらこそよろしくお願いします。
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川井: |
仙石さんのようなすごい方になると、
若いエンジニアからすると雲の上の存在でもあるので、
親近感を与えるためにも子供の頃のお話などもお聞きしています。
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仙石: |
どういうところが「雲の上の存在」と感じるんですかね?
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川井: |
ポジションもありますし、
ネット上でお名前がいっぱい出ているというのが大きいんじゃないでしょうか。
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仙石: |
ポジションといってもたかがベンチャーですし、
どうということはないと思いますよ。
名前が出ているのも昔から長いことやっているだけですから。
まあ、そう思う人が多いっていうのも私なりには分かっているんですけども、
ある程度、技術が好きな人であればほとんどの人が、
私と同程度のことはできるんじゃないかなって気がします。
もしも、自分にはそんなことができないって思うんであれば、
できないと思うことこそが出来ない理由なのかなって思います。
自分で自分をけなしてもしょうがないんですけど、
私がやってきたことなんて誰にでもできることなんじゃないかなっていうのが
正直な感覚なんですよ。
ある意味、やる気があればできる世界じゃないでしょうか。
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川井: |
なるほど。ブログで拝見した「向き不向き」という話もありますし、
のちほどその辺りも詳しくお聞きしたいと思います。
それでは、まずはコンピュータとの出会いからお聞きしたいと思います。
コンピュータとの出会いは中学1年くらいだとおっしゃっていましたけど、
学校でという感じですか?
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仙石: |
そうですね、学校です。
世の中にはこんなものがあるんだっていう感じでした。
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川井: |
それ以前にお父さんが買われたとかはないですか?
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仙石: |
ないです。うちの親は音楽家でコンピュータに全く縁がない人たちでした。
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川井: |
そういう家庭で育った仙石さんが
学校でコンピュータに興味を持ったきっかけってあるんですか?
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仙石: |
たまたま通っていた中学校にマイコン部
(当時のパソコンは「マイコン」と呼ばれていました) があって、
そこでコンピュータに触れることができたからです。
もしマイコン部がなければ興味を持ってなかったと思います。
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川井: |
マイコン部では多くの方が短時間でコンピュータに群がってらっしゃったって
拝見したんですけど、
そういう競争率を掻い潜っても触りたいというのは、
何に魅力を感じていたんでしょうか? 好奇心ですか?
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仙石: |
コンピュータを使う順番待ちをしていましたね。
それはもう公平に人数で割って、コンピュータが使える時間を部員数で割ったら、
2週間に1度、20分程度しか使える時間が割当てられなかったということです。
好奇心というか、触ったことがないから触ってみたい、それだけですね。
ただ本当に興味が湧いたのは、
初めてコンピュータの入門書を読んだあとだったと思います。
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川井: |
それはいつぐらいですか?
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仙石: |
そのマイコン部のオリエンテーションで、
BASICっていう言語を使ってプログラミングをするという話を聞いて、
すぐさま本屋に行って、
当時一冊しかなかった BASIC の入門書「BASICで広がる世界」(CQ出版社, 1979年発行) を買って、
あっという間に読んでっていう感じです。
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川井: |
それで感動されたと聞きましたが。
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仙石: |
感動っていうか、すごくやりたいと思いました。
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川井: |
どのあたりが興味をそそったとか記憶はありますか?
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仙石: |
プログラムを作ること自体に興味を感じたんで、
それ以上でもないしそれ以下でもないし、
ただ単にそれをやりたいって思ったっていう感じです。
そういうものってそれまでは世の中になかったんですよ。
今でこそプログラミングっていうのは誰しも理解しているし、
多分今だとコンピュータにほとんど関係ない人でも、
ソフトウェアが何をするものかって分かっているじゃないですか。
当時ソフトウェアって言葉は、ほとんど知られていなかったと思います。
そういうものが世の中に存在するってことすら分かってなかったんで、
専門用語で言うとストアドプログラム、
要はコンピュータに手順書みたいなのを入れておくっていう
その概念がすごく目新しかったですね。
だから今とは全然状況が違いますね。
今では、プログラマーになろうと思わない人ですら、
プログラムの概念は分かりますよね。
当時中学生だった私にとって、プログラムってのは全く新しい概念だったんです。
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川井: |
相当早くに、これを仕事でやりたいという風に思ったんですか?
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仙石: |
早くというか、読んだ瞬間にですね。
当時もコンピュータ関連の仕事をしていた人はもちろんいたでしょうけど、
私の周囲にはいなくて、概念として全く存在しなかったので、
コンピュータ関連の仕事っていうのは想像がつかなかったんです。
なので、中学生だった私にとって、コンピュータを仕事にするっていうのは
想像を超えていて、
単にそういうことが出来たらいいなと漠然と感じただけです。
当時は、それが仕事になるってことすらよく分かってなかったですからね。
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川井: |
その後、機械語の方に興味を持って、
更にハードの方にもって書いてありましたけど。
その辺の流れを少し教えていただいてもよろしいでしょうか。
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仙石: |
中学2年の4月からそのマイコン部に入って、
2週間で20分くらいの時間を使って簡単なゲームプログラムを作りました。
何とかその1年間くらいで、正確に言うと文化祭の前くらいだったと思うんですけど、
ゲームが一応動くようになって、
まあまあこんなもんかって、
BASICについてはだいたい見当がついて、
それと同時にBASICの限界というのも当時なりに理解出来たんで、
次になにをやるかなぁって思ったときに、
「機械語っていうのがすごく速いよ」って言われて、
すごい興味を持って、実際になんとかかんとかプログラムを組んでみたんですけど、
むちゃくちゃ速くて感動したというか、
当時のBASICに比べると雲泥の差だったんですよ。
これはすごいって思いましたね。
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川井: |
なるほど、「速い」と。
そのあとハードウェアに興味を持ったのはどういうきっかけだったんですか?
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仙石: |
当時なんとかかんとか買ったコンピュータが
非常に改造しやすかったのが大きかったですね。
マニュアルにいきなり蓋の開け方が書いてあったんですよ。
それ以前に電子工作はしたことがあって、
ラジオを作ったりそういう経験はあったんで、
手が出せそうだなっていう感覚はありました。
コンピュータの周辺機器も当時からいろいろ発売されていたんですけど、
あまりにも値段が高くて、
当時高校生だった私には手が出せなない価格帯だったんで、
これはもう自分で作るしかないっていう、そんな思いでした。
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川井: |
当時は、運動とか趣味とかはそっちのけで
コンピュータばかりに没頭していた感じですか?
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仙石: |
小学生のころから野球をやったり、
中学では当然部活に入ってましたから、
普通の人と同じくらいスポーツもやっていたと思うんですけど、
それで時間が全部使われるわけでもないですね。
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川井: |
帰ってから夜の時間でコンピュータをいじっていた感じですか。
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仙石: |
そうですね。あと休日ですか。
でもそんなに朝から晩までっていう感じではないですよ。
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川井: |
大学はその方向に行こうとかなり早めに決めていたんですか。
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仙石: |
でもないですね。いろんなことに興味がありましたしね。
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川井: |
学部というか方向的には、どんなところで迷われたんですか?
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仙石: |
これはちょっと順番が前後するような気もするんですけど、
浪人したときに哲学に興味をもって、
入門書レベルですが、かなりいろんな本を読み漁ったこともあって、
そういう道もあるのかなあと思ったこともあります。
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川井: |
最終的に情報系に決められたのはどんな理由ですか?
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仙石: |
多分人気があったからじゃないですかね(笑)
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川井: |
(笑) そうなんですか!
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仙石: |
今となっては信じられないと思いますけど、
当時情報系は医学部に次いで入試が難しかったんですよ。
もちろん医学部の方が難しいんですけど、
少なくとも工学部の中ではどの学科よりも合格ラインが高かったですし、
なんかよく分からないけどコンピュータ系を目指そうっていう人が多かったですね。
なので私も目指した、と。まあ、ミーハーなんでしょうね(笑)
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川井: |
そんな中で入られると、
おそらく子供の頃からやられていると、
かなりずば抜けているというか
周りの人は触ったことないっていう人ばっかりじゃなかったですか?
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仙石: |
すごい差が激しかったですね。
分かっていない人はとことん分かってないし、
分かっている人はかなり分かっているという感じでした。
当時は、そこそこコンピュータ関係って人気がありましたから、
私以外にも詳しい人も結構いましたよ。
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川井: |
そんな中で、どんな勉強されたんですか?
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仙石: |
大学に入ってからは、人文系の授業に興味をもってしまって、
1、2年生の間はずっとそういうことばっかりやっていました。
社会学とか哲学とか、そっち方向にすごい興味をもって、
ほとんどの人は出席しないところを1人でずっと出席していたので、
単位をとるのは非常に楽でしたね。
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川井: |
哲学とか社会学とかをやられた根底にはなにかあるんですか?
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仙石: |
私の場合は論理的なことに興味があって、
哲学とか社会学の特に理屈っぽいところにすごい惹かれました。
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川井: |
そうすると数学とかもやっぱりお好きですよね。
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仙石: |
もちろん、もちろん。
2回生のときに、隣の理学部まで行って数学の授業を受けていました。
なんかそういうのが好きなんですよね。
だから中学生のときにプログラミングっていう概念を始めて知ったときに
すごく惹かれたのも、
そういうところに関係があるのかなと思いますね。
理屈っぽいことがすごく好きでした。
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川井: |
大学時代から新しく始めたことってありますか?
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仙石: |
2回生のときにアルバイト先を見つけました。
コンピュータのパッケージソフトを作っている会社で、
友人のつてで知ったんですけど、
そこにのめりこんで、ひたすらプログラミングをしていました。
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川井: |
たしかベンチャーで、ソフトウェアのSIですよね。
どんなプログラムを書いていたんですか?
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仙石: |
PC98上の日本語フロントエンドプロセッサ「VJE-β」ってソフトウェアが
当時すごく普及していたんですけど、
それをMachintoshに移植したいっていう要望があったんです。
当時まだまだMachintoshは普及してなかったんで、
面白そうだなってことでやってみました。
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川井: |
ほとんど学校には行かずアルバイトをされていたんですか?
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仙石: |
3回生以降になるとそうなりますね。
かなりサボっていてもなんとかなるっていう気はありましたね。
一応独学とはいえそれなりに勉強していたことなんで、
要所要所さえ押さえれば楽勝でした。
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川井: |
いい成績をとるのも易しいっていう感じですか?
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仙石: |
そうですね。
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川井: |
すごいですね。ぎりぎり卒業はなんとかなるとは思いますが、
いい成績を取るっていうのはなかなか難しいと思いますよ。
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仙石: |
自慢するとですね、大学入試のときは1番で、
院試 (大学院の入試) のときは2番でした。
大学入試の点っていうのは問い合わせると教えてもらえるんですが、
予備校から発表されるデータと照らし合わせて、
私が1番だったことが分ったんです。
院試のときは、ずばり順位を教えてもらいました。
1番だったのが2番に落ちてますが、まあさすがにアルバイトし過ぎたかな、みたいな。
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川井: |
マスターまで出られて、そのあとはすぐに日立に入社されて、
研究職に就かれたんですよね?
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仙石: |
ええ。そうですね。
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川井: |
川崎の王禅寺でしたよね。いいところですよね。
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仙石: |
はい。王禅寺には山があって、山の中に寮があるんですよ。
なので、その寮から山道を歩いて会社に通勤していました。
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川井: |
日立で何かやりたい仕事があったんですか?
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仙石: |
いや、全然(笑)
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川井: |
(笑)
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仙石: |
何で日立に行ったかっていうと結構いろいろあるんですが、
インターンでNECの中央研究所に行って、
全国大会のレベルですけど学会発表までさせてもらい、
そこそこ面白い体験が出来て、
ある意味だいたい分かったかなって思ったんですよ。
今、考えると高々2週間程度のインターンで一体何が分かるかって思いますけどね。
インターンを受け入れてくれた会社からすればいい迷惑だと思うんですけど、
それで他の会社に行こうと思ったんです。
大学院の研究室の中では、
研究所の規模では最大級という理由からNTTの研究所が一番人気でした。
だから研究やるならNTTっていう感じだったんですけど、
当時、教授推薦っていうのがあって、
就職活動をしなくても就職できるんですけど、
1社1人という制限があったったんですよ。
だから同じ会社を希望する人が何人もいると、
院試の順位が高い人が優先されるんです。
院試2番だった私は、
1番の人が希望した会社以外ならばどこでも好きなところへ行けたんですけど、
NTTを志望する人が多すぎたので、違うところにしようと思ったんです。
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川井: |
そうなんですか。
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仙石: |
普通すぎて面白くないなと思いまして。
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川井: |
なるほど。
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仙石: |
だいたいやっていることも想像がついちゃったんですよね。
それまでもそういうのが多かったので。
Machintoshも、誰もやってないからやってみようみたいな感じでしたし、
そんなのばっかりやっていますね。
だからこそみんなに人気があって、
大学の研究室と同じことをやっているイメージがあったNTTでなく、
インターンでいろいろ状況が分かったNECでもなく、
どこにしようかなと考えました。
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川井: |
で、日立に行ったということですね。
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仙石: |
そうですね。あと自然環境が良かったという理由もありましたね。
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川井: |
自然環境は大きいですよね。研究所とか自然の中にあることが多いですよね。
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仙石: |
私の場合は、そういうのとはまた違うかもしれませんね。
研究は室内でするので外はどうでもいいっちゃいいんですよ。
ただ、そういうところに住んだことがなかったから、
みたいなことはあったかもしれません。
会社に入ってからテニスを始めたんですよ。
寮のすぐ隣にテニスコートがあったので。
7月〜10月とかは定時に速攻で寮に帰って、
テニスを日没までやり続ける、
そんな毎日でした。
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川井: |
やったことがないことにトライしていこうって、
そういうお気持ちが強いですね。
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仙石: |
でもだいたい、やり方が分かっちゃうと、
もういいやって気になるんですけどね(笑)
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川井: |
日立には何年ぐらいいらしたんですか?
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仙石: |
8年弱です。
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川井: |
ずっと王禅寺ですか?
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仙石: |
最後の1年は、王禅寺から横浜へ通いました。
所属は、ずっとシステム開発研究所ですけど、
王禅寺と横浜に半分ずつくらいシステム開発研究所の研究部署があるんですよ。
ネットワーク関連の研究をやりたくなったので、
横浜の部署への異動を希望しました。
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川井: |
ヘッドハンティングされたと伺いましたが?
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仙石: |
ヘッドハンティングというか、よくある転職エージェントですよ。
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川井: |
いきなり電話かかってきたんですか?
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仙石: |
ええ。席を外していて戻ったら、
同僚から「外人から電話があったよ」っていわれたんですけど、
外人に知り合いはいないんだけどなと思っていたら、また掛かってきて。
転職エージェントがそういう電話を掛けまくっているということを知らなかったので、
なんだろうこれはっていう感じで誘われるままにオフィスに行ってみました。
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川井: |
好奇心で行ってみたんですね。
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仙石: |
知らないことには首を突っ込んでみるというタチなもので(笑)
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川井: |
サイバードさんを紹介されるまで、何社か面接に行っていたんですよね。
サイバードに決めたのは、面接官と気が合ったっていう感じなんですか?
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仙石: |
もちろん気も合ったんですけど、
初めて紹介された外資系じゃない会社だったんですよ。
転職コンサルタントが外国人で、
外資系中心に転職斡旋を行なっていたエージェントだったんで、
それまで外資系の会社ばかり紹介されていました。
当時はまだネットバブルが膨らんでいる頃で、
外資系の会社が撤退する前だったんです。
そういう会社が盛んに人を雇っていたんで、
転職エージェントもどんどん外資系の会社を紹介していたんです。
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川井: |
当時はすでに転職する気分になっていたんですか?
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仙石: |
どっちかっていうと好奇心ですね。
まだまだ転職するつもりもなかったんですけど、
日立で同じことをし続けるつもりもなかったですね。
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川井: |
いいところがあればっていうステータスですか?
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仙石: |
いいところがあればっていうよりは、
どういう形か分からないけれど脱出したいっていう感覚でした。
ネットワーク分野に興味があったんですけど、
異動した先がテレコムネットワークの研究部署だったんで、
テレコムとインターネットとではまるっきり違いますから全然興味がもてず、
これはもういかに脱出しようかと、そんな感覚でした。
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川井: |
大企業だと異動が希望通りにならないのはしょうがないですよね。
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仙石: |
当時、インターネットの位置づけがまだまだ低かったですね。
TCP/IP はいずれもっとマトモなネットワークで置き換えられると
当時は考えられていました。
実を言うと、日立の最初のWebページは社内の有志で立ち上げたんですけど、
私もそれに加わったんですよ。
これからの企業は Webページくらいは持っていないと、
いずれ恥ずかしいことになるって社内で力説して、
全然本業と関係ないんですけど、
本社に行って、そういう部署のメンバーと一緒に最初の Web ページ作りに励みました。
研究所なんで、
当時としては珍しく所内に TCP/IP のネットワークがあったんですけど、
まだそれが商売になるっていう感じではありませんでした。
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川井: |
それを商売にしているところに是非行きたいという感じだったんですか。
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仙石: |
そこまでは考えていなかったと思います。
脱出して面白いことが出来るところに行きたいと、そんな感覚でした。
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川井: |
それがサイバードならできそうだって思われたんですか?
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仙石: |
できそうだっていうか、やってみようって思いました。
そもそもベンチャー立ち上げっていうのは想像だにしていなかったので、
どんな感じだろうっていう好奇心もありました。
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川井: |
こちらは何年くらいいてケイラボラトリーという形になるんですか?
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仙石: |
私が転職したのが2000年の3月上旬です。
そこからずっと分社・独立の準備をやっていて正式に分社独立したのが、
同じ年の8月1日です。
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