川井: |
高橋さん、こんばんは。先日はセミナーのご講演ありがとうございました。本日は、「Webエンジニアの武勇伝」のインタビューということでよろしくお願いします。
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高橋: | よろしくお願いします。
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川井: |
まずは、パソコン・・・というかコンピュータとの出会いみたいなところからお聞きしていきたいんですが、何歳ごろから初めたんでしょうか。
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高橋: | (持参のノートPCで検索しながら)NHK教育で「マイコン入門」っていう番組があったんですよ。googleによれば、1982年放映ですね。父にその番組のテキストを渡されました。自分で買った記憶はないので、多分父が買ってきたと思うんですけど、もしかしたら父も勉強したかったのかもしれないですね。それでテレビを見ながら、本を読みながら、っていうのがコンピュータに触れた最初です。
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川井: |
これは12歳、13歳ですか?
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高橋: | 小学5年生だったはずですね。1982年だから、10歳。
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川井: |
世代的にはマイコンとかオフコンですよね。これは教育番組の題材ということなので、ゲームとかではなくて、純粋なマイコンだったんですか?
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高橋: | ええ、でもやっぱり確か最後に簡単なゲームも作ります、っていう感じではあったはずです。
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川井: |
これはこれで面白かったんですか?
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高橋: | あんまり覚えてないですねえ。そういうものなんだ、ふーんって感じでした。
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川井: |
これが原体験ってことですね。それで継続的に学習するようになるんですかね?
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高橋: | この企画は1年なのか半年なのか覚えてないんですけど、基本的に単発なもので、それに続く番組はなかったんですよ。それで、本屋でパソコン雑誌を立ち読みしたりっていう形に移行したはずです。とにかく家にマシンがなくて、小学校の間も、中学校の間もなかったんじゃないのかな。なので、近所の町の電気屋さんとかでパソコンを触らせてもらったりするのが精一杯で、あとは雑誌読んでみたりというくらいでしたね。
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川井: |
そういう中学生だったりしたんですね。
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高橋: | ええ、あとは友達の家で触らせてもらったりとかですね。いずれにしても、たいしたことはできませんでした。
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川井: |
それってどこかのタイミングで面白くなったってことなんですよね?
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高橋: | なんなんでしょうね。あんまり覚えてないんですけど(笑)
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川井: |
趣味がそうなったんですか?
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高橋: | まあ、でも興味はあったっていう感じですね。
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川井: |
僕らがゲーセンにゲームしに行くっていうのと同じ感じですかね。それでやっていたのはやっぱりゲームなんですか?
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高橋: | なんかプログラムを入力して動いたっていうくらいですね。何を作るっていうのではなかったんですけど。
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川井: |
雑誌に載っているのをそのまま打ち込んでみたりとか?
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高橋: | 店先とかに雑誌を持ち込んで打ち込むわけにもいかないので、何やってたんでしょうね(笑)あとはやっぱり雑誌は継続して読んだりしてました。
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川井: |
立ち読みですか?
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高橋: | 立ち読みも多かったんですが、「テクノポリス」っていう雑誌があって、この雑誌は80年代後半には買っていたはずなんですよ。創刊は1982年で、創刊号はあとで古本屋で買った記憶がありますね。雑誌で買っていたのは、これくらい。初期はホビーユースなんだけどいろいろやりたがってるマイコンマニア向けの雑誌だったんですよね。
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川井: |
当時はBasicですよね。
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高橋: | (またノートPCで調べながら)そうですね。あ、1983年には買っていましたね。そうなんだ、へー、我ながらびっくりだ。
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川井: |
1983年ってまだ小学生じゃないですか?
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高橋: | そうですね。
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川井: |
小学生でテクノポリスを買っていたんですね。僕がコロコロコミックを買っているときですよ。
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高橋: | その頃は著作権についても今ほどはうるさくなくて、アニメのCGとか歌謡曲とかの曲データを雑誌に掲載しても何もお咎めがなかったんですよね。ある意味、幸せな時代でしたね。今ではぜったい許されないでしょう。「テクノポリス」は後期は同人誌から美少女系の雑誌になってしまって、いろいろ大変だったようです。判型が変わるまでは買ってたかなあ。
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川井: |
そうなんですね。
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高橋: | あと、「プログラムポシェット」、通称プロポシェっていう雑誌が、テクノポリスの増刊でありまして。私ぐらいの年代ですと、ソースコードが載っているパソコン雑誌というと、だいたいみんな「マイコンBASICマガジン」、通称ベーマガを挙げる人が多いみたいですよね。プロポシェは、ベーマガに比べるとマイナーなんだけどいろいろ頑張っていた雑誌で、私はベーマガよりもプロポシェ派でした。
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川井: |
その当時、コンピュータ雑誌を買っているような友達がいっぱいいたんですか?
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高橋: | そんなにはいないですが、いない訳でもなくて。パソコンを持っている人も結構いましたよ。パソコンはPC6001、MSXとかそんな時代ですよ。8801ですら割りと高嶺の花でした。MZ-2000を持っている友人がいて、「おー、すごい」って言っていました。
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川井: |
すごいですよね。小学生とか中学生の前半でこんなことしているんだから。
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高橋: | テクポリ・プロポシェ派の人はあまりいないので寂しいんですけどね。
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川井: |
これ、出版社はどこなんですか?
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高橋: | 徳間です。ここからMSX・FANに移って、あるいはファミマガがあって、というのが徳間の系列なんですが、私は全然追っていなくて、プロポシェで終わってしまったん感じです。でも、プロポシェは今でも全冊実家にありますね。
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川井: |
えー。そうなんですか。すごい! 他にパソコン以外のことはされてなかったんですか?
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高橋: | 普通に野球で遊びましょうみたいなことはやりましたけど、積極的にはやっていないですね。というか元々運動には興味もなく、適性もなくって感じですね。
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川井: |
じゃあ、本当に興味の対象はコンピュータに向かって一直線だったんですか?
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高橋: | いえいえ、そんなにコンピュータに向かっていたわけでもないです。
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川井: |
じゃあ、何をされていたんですか?
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高橋: | 中学校くらいから割と本を読んでいましたかねえ。
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川井: |
SF好きって噂を聞きましたけど。
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高橋: | それほどでもないですけど。SFを読み始めたのは中学校からですね。
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川井: |
中学校でSFってことは眉村卓とか小松左京とかですか?
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高橋: | 一応、星新一から入りまして、新井素子に行きました。世代的に新井素子の時代なんですよ。女の子でもコバルト文庫で新井素子を読んでましたっていう子が多かったと思います。
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川井: |
星新一といえば、「全ショートショート」を持ってますよ。
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高橋: | えー! 持っているんですか。あれはどうしようか悩みましたね。
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川井: |
知人が日販にいて、7掛けで買ってもらいました(笑)
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高橋: | それはずるい。あれは買おうかと迷いました。今でも迷ってます。
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川井: |
なるほど、新井素子だったんですか。
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高橋: | 今でも一番好きな作家は新井素子です。彼女の作品には本当に大きな影響を受けておりまして、新井素子の話をし出したら、多分このインタビューがそれだけ終わってしまうと思います(笑)
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川井: |
分かりました。このくらいにしておいた方がいいかもしれないですね。(笑)
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高橋: | 中学の頃に海外SFを薦めてくれた女の子がいて、その人に借りたのがストルガツキ―の「ストーカー」。これは映画にもなっています。「ストーカー」といっても、元々のタイトルが「路傍のピクニック」で、映画版のシナリオも「願望機」というタイトルだったりとか、今言われている「ストーカー」とは違うんですけどね。
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川井: |
SFなんですか?
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高橋: | ソ連のSFです。一種のファーストコンタクトものなんですけど。宇宙人が来て、その痕跡をごろごろ置いていったんだけど、わけの分からないものばっかりで、触るとやばいことになったりもする。なんだけど、主人公はそこに行ってしまって、いろんな変な物に出会うっていう話なんですよ。
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川井: |
本格SFが好きな感じなんですかね。
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高橋: | それはたまたま薦められただけなんですけど。本格というか濃い話。思弁的なところもあってよく分からなかったんですが、原体験でいうとそれですね。比較的マニアックなSFなので、分かる人とこの話をすると、そんなものから入ったんですかって笑われます。
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川井: |
本には興味があったんですね。
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高橋: | そこそこ読んでいましたね。中学校のときは、他に特に趣味っていうものが、そんなになかった感じですね。
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前田: |
勉強は出来たんですか?
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高橋: | そこそこできた子でした。でも、言うほどではなかったんですけど。高校に入った時には、多分下から数えたほうが早かっただろうって思います。一応、北海道ではトップレベルの学校だったんです。それでも、出るときは上から数えたほうが早かったんで、それは頑張ったんでしょう(笑)周りにかしこい人がいると影響は受けますね。
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川井: |
高校の頃はどんな生活をされていたんですか?
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高橋: | 高校の頃はですね、地球科学研究部っていうところに入りまして、地学っていうか。星を見に行くとか化石掘りをしていました。
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川井: |
北海道は星が綺麗でしょうね。こっちと全然違いますよね。
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高橋: | こっちで星の綺麗なところに行ったことがあまりないので、よく分かんないんですけど。少なくとも東京とは比べ物にならないでしょうね(笑)
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川井: |
そりゃ、そうですよね。
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高橋: | でも、北海道でも札幌の回りは明るいのである程度、離れないと駄目ですね。札幌を背にしてみるといいんですけど、まあ行けるか行かないかは別の問題ですからね。今にして思えば、高校生の男女が夜中に暗いところにいくのはいろいろ問題がある気もしますね(笑)
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川井: |
ですね(笑)
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高橋: | あとは生徒会で会長をやってました。その時のニックネームが会長だったんですけど、最近も会長って呼ばれることが多くて、すごく懐かしい感じがします。
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川井: |
「日本Rubyの会」会長ですもんね。
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前田: |
人前で話すことも多かったんじゃないですか?
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高橋: | あんまりなかったですね。挨拶などのスピーチがあまりに短くて笑われたこともありました。もちろん短いスピーチは高校生には受けるんですけど。
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川井: |
笹田さんも生徒会って言っていましたね。生徒会活動で出会ったMacがきっかけになったっていってました。高橋さんのときって、学校にデスクトップのワープロ専用機とかがあったんじゃないですか?
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高橋: | OASYSはありました。そこで親指シフトを試してたはずなんですけど全然覚えられなかったんですよね。結局、カナ入力は苦手でしたね。
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川井: |
その他のコンピュータとは接していたんですか?
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高橋: | 高校の頃にはFM-NEW7を入手したはずなんですよ。高校に入った頃か、中学の終わり頃かな、それくらいですね。
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川井: |
ご自宅でですか?
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高橋: | そうです。そこからはまともにプログラムが書ける環境はとりあえずあったことになりました。でも、あっただけでちゃんと書いていたかどうかは別の話ですけど。
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前田: |
言語は何なんでしょう?
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高橋: | Basicですね。
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川井: |
中高の頃にマシンを手に入れてましたっていうことですね。プログラミングはまだそんなにはしてなかったんですよね。
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高橋: | そうですね。ちゃんとするようになったのは就職してからじゃないのっていう気もしないでもないですけど。一応大学の時もやってはいましたが。あと、FM-7のCPUはZ80じゃなくて6809だったんですよ。その辺のアーキテクチャの違いはまったく分からなかったのですが、アセンブラを使って、無理矢理なんかやっていたような記憶もあります。基本的にはBasicとマシン語がちょっと使えますよっていうくらいでした。特にハードは興味がなかったのでバラしてなんとかとか、カードを繋いでなんとかっていうのは一切なかったですね。
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川井: |
あくまで興味はソフトの世界ってことですね。
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高橋: | そうですね。そっちだけでした。
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