川井: | 8801の次はどういうステップになっていったんですか?
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角谷: | 主にゲーム機として使ってました。高校に入って9801のどれだかを入手したんですけど、それでもゲームとワープロが一台でできるという程度の付き合いですね。ただ、プログラムへの憧れだけはあったかなあ。だからといって特に何もやってないんですけど。
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川井: | なるほど。そのあと進路はどういう感じになるんですか?
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角谷: | 高校は大阪府立の高校で、大学は私立文系で法学部です。
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川井: | あ、法学部なんですか?!意外です。
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角谷: | 入試が英・国・社で、理数がなかったので。
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川井: | なるほど。
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角谷: | 数学とか理科は決定的に欠落しています。もう何がわからないのかわからないという。理数は中2ぐらいで脱落したっきりです。
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川井: | 僕も高3の時に理系あきらめたんですよ。それで結局一浪しちゃいました。そのあと文転して文学部に行きました。secondlifeさんも文系って言ってましたね。
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角谷: | そうなんですか!
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川井: | 理系が苦手というと先々どうつながっていくのか楽しみなんですけど、どういう形で今の世界に近づいていったんですか?
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角谷: | 大学に入って、高校時代の友達からEPSONの486のどれだかを安く売ってもらいました。でも主な用途はやっぱりワープロだったんですが、ある日なんとなくモデムを買ったんです。安売りしてたから。で、パソコン通信を。
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川井: | 見てみたら興味があったという感じなんですか?
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角谷: | パソコンは他のパソコンとつながったりできるらしいという噂は、以前から聞いてました。自分でやるには難しすぎてやったことなかったですけどで、とにかくつながるのがすごい、と(笑) で、実際にパソコン通信でつないで見たら、他の人の書いた文章が読める。これは感動しました。
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川井: | それが大学時代ですか?
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角谷: | そうです。
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川井: | 大学っていうと何年頃になるんですか?
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角谷: | Windows95が出る直前ぐらいだっけ。当時、パソコンの向こうにいた人達は、MacのPerforma買ったとか、Windows買ったとかで盛りあがってました。私はマシンを買い替える余裕はなかったので頑なにDOSで。みんな書き込みが横に長いんですよね。Macの人とか自重してほしい感じで(笑)
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川井: | 94年ぐらいですよね。
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角谷: | ええと、それぐらいでしたっけ。その後、バイト代が貯まったので「じゃあオレも横に長く書けるやつ買うぞ」ということで、初めて新品のパソコン買いました。でもまあ、平凡なパソコンユーザーですよ。別にプログラム書いたりするわけでもなく。
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川井: | 角谷さんがそういう経歴だと知ったらみんな勇気出ますね。
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角谷: | 特に何があるというわけでもないですからね。
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川井: | いやいやいや。
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角谷: | このインタビューも、最初にお話をいただいたときには断わりましたよね。あれは自分がどれにも当てはまらないと思ったからです。Webは……まあ仕事でも使ってるけど、いわゆるWebのサービスが中心なわけでもないし、エンジニアといわれてもソフトウェア工学やってないし、武勇伝とかなくて平凡だし、と。「自分には関係ないから断わろう」と(笑)
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川井: | なるほど(笑)そうすると最初の仕事もエンジニアじゃなかったりしたんですか?
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角谷: | 職種としてはエンジニアですよ。最初に就職したのは東京のSIerです。
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川井: | どういうきっかけで入られたんですか?
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角谷: | あまり深く考えずに。当時、パソコン通信の後にインターネットの波がきて、いちパソコンユーザーとして「コンピュータの仕事、面白そうだな」ぐらいです。
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川井: | (笑)
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角谷: | 就職しないといけなくなった頃に、コンピュータって面白そうだけど、プログラマってどうやったらなれるんだろう、と。特殊な訓練とか必要なのかと思って、Nifty-Serveで知りあったプログラマの人に聞いたら「今からでもなれるよ!」と言われて。思っているほど専門的でもないし、特殊な訓練が必要というものでもない、と。それを真に受けて、よくわかってもないのに、コンピュータを使ってシステムを作ってるっぽいところの採用試験をいくつか受けました。結果、縁があって採用されたので就職したという。
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川井: | なるほど。そこは理系じゃなくても未経験でもエンジニアとしての採用枠があったんですか?
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角谷: | 以前はどうだったのか知らないですけど、同期入社には理系じゃない人もたくさんいました。
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川井: | 僕の年代ぐらいだと、人が足りなくて女性の文系のコボラーが結構いたんですよね。そのSIerというのはWeb系の会社だったんですか?
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角谷: | Webじゃなかったと思います。
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川井: | 業務系ですか?
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角谷: | たぶん。というか、Web系とか業務系とかいうのもわかってなかったですね。汎用機とUNIXの区別もわからなかった。「世の中にはパソコン以外にもコンピュータが存在するらしい」ということ以上は何も知らない。見たことないし(笑)
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川井: | その辺をわからず、とりあえずコンピュータ好きだから入っちゃえと入られたんですね。入ったときに研修はあったんですか?
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角谷: | 研修はMF COBOLでした。Windowsで動くCOBOL。Cではなかったです。ロジックをコードで表現することだけに集中したいという判断だったんだと思います。
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川井: | 研修をまずCOBOLでやったんですね。じゃあ、最初の業務はやっぱりCOBOLの仕事ですか?
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角谷: | 最初の本格的な仕事は PowerBuilderでした。COBOLはスポットで少しだけやりました。
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川井: | なるほど(笑)。昔さっぱりわからなかったプログラミングが、研修をやって、どこかのタイミングでわかったわけですよね? どういうきっかけでわかるようになったんですか?
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角谷: | どこだったかな……ええと、入社よりも前ですね。インターネットに繋がりだした頃に、Perlで書かれた掲示板のCGIなんかを見よう見まねで動かして、そのプログラムを眺めて雰囲気で出ている字を変えたりしてたときだと思います。
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川井: | なるほど。なんとなく雰囲気はわかってきたということですね。
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角谷: | といっても、空前のホームページブームの頃に色んなCGIの本が出て、それをいくつか買ってみたりするわけですが、いつも途中からよくわからなって投げ出してました(笑) ああ、そういう意味では、ちゃんと動くプログラムを作れるようになったのは就職してからですね。
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川井: | (笑)当時ホームページ作って100万とか200万とか軽くもらってる時代ですもんね。
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角谷: | そういう話はバイト先の人達から聞いたことがありました!研究室の教授の知り合いのバイトとかで。いいなーと思ってました(笑)
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川井: | (笑)。うちの親会社のKBMJのメンツって76世代なんですけど、SFCで、ちょっと作ると100万とかもらえたって言ってましたね。
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角谷: | 当時、学生の頃から本書いたりして花開いてる人がいるいっぽうで、自分はCGIの本一冊やり遂げられずに投げ出してふて寝してるという(笑)
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川井: | (笑)。結構マイペースに生きてらっしゃる感じですね。
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角谷: | ペースも何もないですね。そもそも成果につながるようなことをしていたわけでもないので。
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川井: | 何か気合い入れてこうやるということはなかったんですか?
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角谷: | 一切ないですね。
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川井: | スポーツとかでもないですか?
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角谷: | スポーツは苦手でした。
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川井: | 何を趣味にしてらしたんですか?
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角谷: | どうでもいいような映画をたくさん観てました。
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川井: | どうでもいいような映画をですか(笑) 海外ものですか?
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角谷: | 海外とか日本とかのこだわりはなく、どうでもいいものを中心に観てました。
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川井: | とりあえず映画館に行って観るという感じですか?
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角谷: | 映画は映画館で観るものなので。
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川井: | なるほど。すごいなんか今日は意外で楽しみな展開ですね。
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角谷: | 意外というのが意外ですが……。平凡で何も成し遂げない人生ですよ。
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川井: | (笑)。そのあと仕事の流れはどのように進んでいったんですか?
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角谷: | 平凡なSIの仕事を淡々と。何もわかってなかったので。会社のことも、業界のことも、社会のことも。
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川井: | まあ最初の頃はそうですよね?。
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角谷: | PowerBuilderの仕事のあとは、組織改編があったり何だりで異動になって、Oracleのバッチを書いていたチームに入れてもらってPL/SQLをやってました。まあ、その後は2000年問題があって、21世紀に入って業務システムにJavaの波が来て、とSI業界のよくある展開に流されてやっておりました(笑)
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川井: | (笑)。例えば当時新しい技術が出た時に吸収するっていうのは業務の中だけですか?
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角谷: | 業務と直接関係ないのは、家に帰ってからですね。Linuxをインストールしたりとか。
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川井: | 家帰ってやるなら好きじゃないとできないですよね。
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角谷: | まあ、そうですね。家に帰るともうPCは見たくもないとかいうのはなかったです。
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川井: | 最初の会社には何年ぐらい勤められたんですか?
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角谷: | 5年ぐらいです。SIを5年。
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川井: | じゃああんまりWeb!というような仕事はしてないんですね。
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角谷: | そうですね。Webといってもイントラ向けの業務システム用のインターフェイスの画面がIE、という程度で。
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川井: | 何か転職しようと思ったきっかけとかあるんですか?
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角谷: | 辛かったんです(笑)
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川井: | (笑)。仕事が行き詰まってきてですか?
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角谷: | まあ、そうですね。将来に対する漠然とした不安とか。
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川井: | どういうところに行き詰まりを感じてきたんですか?
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角谷: | 端的にいえば、エクストリーム・プログラミング(XP)を知って「あ、これやりたいな」と思いまして(笑)
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川井: | なるほど。やりたいことが出来なかったんですね?
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角谷: | そう言われればそうなんですけど……いまふりかえれば当時はXPのことをちゃんと理解してなかったですねえ。
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川井: | 当時のSIの形態っていうのは、基本的に持ち帰りだったんですか?
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角谷: | いろいろですけど、私が関わったのは自社に持って帰ってきてというのが多かったです。常駐もありましたよ。
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川井: | 自社で開発できているということは、行き詰まりというのは、やりたい技術の仕事があまりないってことだったんですかね?
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角谷: | 技術というか、いわゆるSIっぽいやり方――人月計算とExcelとスーツというやつですね、あれが嫌だなと(笑)。嫌だといっても、思い返してみれば、そうひどかったわけでもないですね。よくある平凡なSIの風景だったと思います。
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川井: | 持ち帰りであればそうですよね。
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角谷: | ただ、お客さまとの「距離」が遠いという不満はあったと思います。
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川井: | 女性が少ないとかそういう問題もあったんですか?
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角谷: | 女性は……多くはなかったですけど、それが自分にとって問題ということはありませんでした。まあ、人口比を考えると少なすぎるとは思いますが。それよりも、自分の作ったプログラムとかが、実際のところどうなったのかがよく見えないというのが。
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川井: | 例えば大きいシステムに関わってるときに、自分がやってることがどこにどう影響してるのか見えないみたいな世界ですか。
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角谷: | 皆目見当がつかないということはないですけど、それを実際に日々使ってる人たちとはほとんど会えないとか、場合によっては会わせてもらえなかったりしたので。
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川井: | それっていうのは、プログラミングに憧れてたりかっこいいなって思ってた時代から、使ってもらうことが喜びとか、人の役に立てるとか、便利になることが楽しいとかって気持ちが芽生えてたんですかね?
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角谷: | 自分のやった仕事がどうなったかは気になりますよね? あとは、なんとなく時間が過ぎていっていろいろ遅れるというアレが嫌でした(笑)
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川井: | なるほどなるほど。
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