川井: |
大学入ると、さすがにそんなこともないんですよね?
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村瀬: | いえ、そんなことがありましたね(笑)大学に行かずに家でパソコンを触ると。そういう大学時代でした。それで結局、大学は中退しているんです。
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川井: |
大学はつまらなかったんですか?
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村瀬: | そうなんですかね。実はあまり記憶がないんです。
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川井: |
そうですか。やっぱりパソコンにはまっていたってことですかね。
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村瀬: | そうですね。大学の途中でJavaを止めて、C言語でをやり始めたんです。目的はまたゲームだったんですけどね。Windowsのネットワークゲームを改造していたんです。今だと改造出来ないようなソフトが入っているんですけど、当時のはパケットとかも暗号化されていなくて、オープンというかいい時代だったので、アプリケーション通信を乗っ取ることが出来れば、ゲームの通信の中身が全部取れたりして面白かったので、通信のパケットを解析して情報を表示したりして、それでWindowsの仕組みとかC言語を覚えたんです。
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川井: |
それで知識も増えて、さらにはまっちゃったということですよね。
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村瀬: | 言語を覚えようとかっていうことではなくて、やりたい事があるから、やりたい事を調べていくうちに知識がつくっていうことだと思います。やっている内容は悪いことのように見えますが、情報を書き換えて、書き換えた情報をサーバーに送るとか、そういうことはしていなくて、なくてもいいけどあると便利だねっていうようなツールを作っていたんです。
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川井: |
ツールを作っていたんですか?
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村瀬: | そうです。外部ツールみたいなものです。チャットするときに、ゲームの中から直接IRCでメッセージを投げられるようなものを作ったりしていました。ゲームの中で技を使うときに、ショートカットキーで使えるように設定できるんですけど、それがF1からF12まで12個しか登録できないんです。でも、使いたい技っていうのは、もっといっぱいあって、何種類かアプリ側で定義しておくと、もっと切り替えて使えたりするんですが、そういうツールとかを作っていました。
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川井: |
このあたりで得た技術はまだ役にたっているんですか?
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村瀬: | そうですね。今でも役に立っています。Windowsアプリで通信を乗っ取ったりとか、デバッグする際にも使えます。要するにデバッグの技術なんですよね。
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川井: |
なるほど。
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村瀬: | 相手と同じプロセスにいないとメモリとか読むことが出来なくて、目的のプロセスに自分のプログラムを注入するんですけど、それってデバッガーがやっていることなんです。なので、インターネットエクスプローラーの通信を見たりとか、いまだに生きている使える技術ですね。
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川井: |
すごいですね。私もネットゲームは今でもやっているんですけど、色んな外部ツールを送ってくる人がいたり、チームのサイトとかがあって、そこでダウンロード出来るとかいう仕組みもつくられていたりとか、本当に色んな技術のある人がいるなって思ってたんですけど、村瀬さんみたいな人がやっていたんですね。
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村瀬: | そうなんです。今は、Webプログラムを書いているんですけど、当時は格好悪いなと思っていてそういうのがあまり好きじゃなかったんです。CGIとか、Perlとかも嫌いだったんですよ。今はPerlを書いていますけど、当時はPerlはださいっていうイメージを持っていましたね。
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川井: |
やっぱりC言語だったわけですか?
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村瀬: | そうですね。やっぱりC言語の方が速いですしね。
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川井: |
そんなこんなしながら、アルバイトかなにかでクーピーとご縁があったんですか?
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村瀬: | いえ、大学3年のとき、辞めるつもりだったので、いきなり社員希望で受けたんです。
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川井: |
どうしてクーピーだったんですか?
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村瀬: | 最初にクーピーに興味を持ったというよりは、まずはWebに興味を持ったんです。
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川井: |
なるほど。では、そのあたりを教えてください。
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村瀬: | 2003年あたりからブログブームで、僕もブログを始めていて、技術者の書いているブログをRSSリーダーで購読するようになったんです。最初は、ブロッサムっていうブログツールの情報が欲しくてそのブログツールを使っている技術者のブログを購読していたんですけど、hail2u.netっていうところの Web系の技術者の人の書いている記事が、ネットの最新情報だったり、切り口が格好良かったりして、色々真似したりしているうちにWebも面白いなって思うようになったんです。そのブロッサムっていうブログツールがPerlで、5KBとかしかなくて、blosxom.cgiっていう単体のファイルで配布されていて、プラグインを追加してやらないと全く使えないので、それをいじっていてPerlも面白くなってきて、Webへの興味が強くなっていきました。
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川井: |
そういう流れなんですね。
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村瀬: | はい。
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川井: |
それで、就職した先がクーピーだったのは?
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村瀬: | たまたま求人サイト見たときに、一番面白そうな会社だったんです。
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川井: |
なるほど(笑)その時はどこに住んでいたんですか?
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村瀬: | そのときは埼玉ですね。結構遠かったんです。受かったら引っ越すみたいな感じでしたけど。
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川井: |
実際にクーピー入ってみてどうでしたか?
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村瀬: | まず、僕はそれまでずっとWindowsのエディタを使っていたんですけど、そのときは貝畑と庄司っていう2人のプログラマがいて、2人とも黒い画面で、Emacsを使って作業しているのを見て衝撃を受けたんです。これは本当に速いし、格好いいって思いましたね。当時は何をやっているのか分からなかったんですけど、とにかくどんどんコードが書き換わって行くのに驚きました。それでEmacsを使うようになったんです。今もまだ使っていますね。
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川井: |
エディタ以外での印象とか、それによって受けた刺激ってありましたか?
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村瀬: | それまではMySQLとかは触ったこともなかったし、それ以外にも覚えなければいけないことがたくさんあり、そのことによるプレッシャーもあって、1人でやっていた時よりも成長スピードは上がりましたね。
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川井: |
でも、楽しかったんですよね?
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村瀬: | そうですね。
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川井: |
当時何人くらいいたんですか?
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村瀬: | 開発は僕を入れて4人くらいですかね。
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川井: |
入社してからの変化とか、成長していく中で新しくやり始めたこととかってありますか?
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村瀬: | プログラムを作る考え方が変わったというのがありますね。僕は、それまでは、すごい完璧主義だったんですよ。とりあえず動くものを作るっていう感じではなくて、動くものになってないのに、ここは気に入らないから書き直すとか、本を途中まで読んでしばらく放置していたときに、また最初から読むような感じだったんですよ。貝畑とかは、とりあえず動くものをすごいスピードで作っていく感じなんです。僕らの中の用語で「不必要な最適化」っていう「必要になったら最適化すればいい」っていう考え方があるんですけど、そういう開発におけるスピードの大切さを貝畑から学んでいますね。
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川井: |
バランスと言えばバランスですよね。
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村瀬: | そうですね。本当にどうしようもないコードを作って早くてもしょうがないですからね。
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川井: |
当時は、どんなサイト作られていたんですか?
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村瀬: | クーピーのときは、PHPで1つサイトを作ったことぐらいしか覚えてないですね。PHPで仕事をしたのが1つだけなんですよ。それは本当に大変でしたね。あとはアクセス解析ですね。それはPerlとC言語で書いていたんですけど、皆がPHPでやっている中で、1人だけちょっとPHPはやりたくないみたいな人がいるということで、Webの受託ではない仕事をもらっていましたね。
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