ホーム > Engineer25

サービス&ソリューション

Engineer25 第4回 cho45氏

今回は、cho45さんを「1000speakers」終了後につかまえて、お話をお聞きしました。cho45さんは、大学を休学中ですが、さまざまな出会いをくれたインターネットに恩返しをできるようにという思いを持ちつつ、技術力を磨いています。インタビューは、「1000speakers」の会場だった、ドワンゴのオフィスから少しはなれたロイヤルパークホテルのラウンジで行いました。http://www.rph.co.jp/index.html

cho45氏


  • 佐藤広央 (cho45) 1987年福島県生まれ 本名:渡辺博文
  • 小学校入学時に神奈川県川崎市に移り、現在は神奈川県伊勢原市在住。
  • 2007年8月ごろから大学を休学中。

  • http://www.lowreal.net/
    川井:本日はよろしくお願いいたします。
    佐藤:こちらこそよろしくお願いします。
    川井:今回は若いトップエンジニアの方々が、どう楽しんでいるのかをテーマにいろいろとお聞きしたいと思います。まずは子供の頃のお話から聞きたいんですが、パソコンと触れ始めたのはいつ頃ですか?
    佐藤:親父が新らし物好きで、小学校のときからNECのPCがあったんです。それで初めてパソコンに触れたんですけど、その時は全然興味がわかなかったんです。で、それは小学校のうちに壊れてしまって捨ててしまって終わったんですけど、中学のときに今度はノートPCを買ってきたんです。それからは、父親が買ってきたにもかかわらず、ずっと自分がインターネットをやっていて、そこから少しずつHTMLとかを学び始めて、そっちの方にいったんです。
    川井:小学校の頃の話は何年生くらいですか?
    佐藤:3年生くらいだと思うんですけど、よく覚えてないです。大きなフロッピーを何枚も差し替えながらやるゴルフゲームがあってそれをやっていました。
    川井:フロッピーディスクですか?
    佐藤:フロッピーディスクの大きくて薄いやつですね。
    川井:なるほど。8インチとかのやつですね。箱に入っていたやつですよね?
    佐藤:そうです。それで薄い紙に包まれていたやつです。
    川井:その時は興味を持たなくて、中学の時に目覚めたわけですね。
    佐藤:はい。インターネットをやってるときに、たまたま親父から「ホームページでも作ってみたらどう?」って言われたんです。その時は「嫌だよ、そんなの」って言っていたんですけど、段々ネットやっているうちに、「ホームページ」みたいなものも作ってみたいなって思うようになって、HTMLを書き始めたんです。
    川井:最初はどんなことをやっていたんですか?
    佐藤:最初は微妙なことしかやっていなかったですね。
    川井:なるほど。2台目のノートパソコンの機種は覚えていますか?
    佐藤:Mebiusです。1年くらい使っていたら、モデムのところが接触不良になって、ずっとペンをはさんで使っていました。
    川井:その後はどういった流れになるんですか?
    佐藤:その後にやったのは、JavaScriptです。個人サイトとかいっぱい見ていたんですけど、すごくダサいJavaScriptの使い方をしていて、それって必要なの?っていうのがいっぱいあったんです。そういうのをなくして、面白い使い方ができるのであれば、なんかやってみようかなって思ったんです。
    川井:ダサいって具体的にはどんなものですか?
    佐藤:意味のないメッセージを出すとか、ステータスバーでスクロールするとか、今ではもう廃れているんですけど、そういうのが全盛の時だったんです。そういうのじゃなくて、Cookieを使って何か実用的に面白いことができないかとか、そういうのをやり始めた感じです。
    川井:そういうのって技術魂なのかあれですけど、もっと子供の頃からそういう傾向ってあったんですか?
    佐藤:子供の頃からコンピューターに限らず、とにかく何かを作るのが大好きでした。
    川井:ものづくりが好きなんですね。
    佐藤:そうですね。幼稚園のときは、図鑑に載っていた飛行機の写真が大好きだったので、それを割箸と爪楊枝と半紙か何か紙で作って遊んで楽しんでいたんです。小学校の頃はペーパークラフトとかをやっていて、とにかく作り上げたときに満足感があってそれが楽しかったですね。
    川井:それに無駄があってはいけなくて、格好いいものを作りたかったんですね?
    佐藤:はい。格好いいものを作りたかったですね。
    川井:そうなると、ソースも格好よくないといけないってことですね。
    佐藤:もちろんですね。
    川井:プラモデルとかも作ったりしたんですか?
    佐藤:あーはい。機関車が好きだったので、D-51 とかバイクの模型とかも作っていました。組み立てるのと反対に電化製品を分解するのをやりまくりました。壊れているのを拾ってきて分解したり、一番最初に買ってきたコンピュータとかそれ以前にあったワープロとかも分解してました。
    川井:元に戻せるんですか?
    佐藤:戻せないので、壊れたやつをですね。
    川井:ものづくりに興味のあった人って、ハードの方にいく傾向があるんですけど、今ってソフトの方ですよね。
    佐藤:ハードの方にも興味があったんですけど、でもハードってお金がかかるんで、それが嫌だったんです。ソフトだと、みんな無料で提供してくれて開発環境も無料で手に入って、それに合わせて自分がやっていけば、どんどんスキルアップして報われていくっていう実感があってそれが楽しかったんです。でも、今でもハードウェアをやれる機会があればやろうと思っていますね。
    川井:ソフトウェアってハードに見立てられますか? 何か物を作っているって感覚になれるものですか?
    佐藤:そういう風に考えると良く分からないですね。でも何かを作って誰かに使ってもらったとき、「あー自分、モノを作っているんだ」って感じます。それが楽しいです。
    川井:なるほど。反対に運動とかはあまりしなかったんですか?
    佐藤:しませんでした。中学の時は科学部に所属していて、写真の現像とかをしていました。無意味に部長をやってました。
    川井:科学部って何をやるんですか?
    佐藤:うちの部活はかなりだらだらとやっていて、カルメ焼きつくったりとか、あとは科学館見学とか博物館見学とかばかりしていました。
    川井:実験とかしないんですか?
    佐藤:授業の予習として少しだけやりました。ガスバーナーとかをすぐにつけられるようになっていたくらいで、理科の実験のときに少しだけ活躍できるくらいでした。
    川井:中学の時に科学部だと、オタク扱いされたりしませんでしたか?
    佐藤:それがなかったんですよね。確かにオタクなんですけど、濃いオタクっぽい人があまりいなくて、運動部の人ともそこそこ仲が良かったんので、そういう風には言われなかったです。
    川井:確かに快活ですよね。
    佐藤:ていうのは、結構、会う人に拠るんですよね。気分にかなり波があります。
    川井:今日は、かなりテンションが高い方なんですね。
    佐藤:今日は、1000speakersとかもあったんで、かなり高い方ですね(笑)
    川井:高校のときはどういう感じだったんですか?
    佐藤:高校の時は暗黒の時代でした。学校が本当に面白くなくて、クラスメートとかも気が合う人がいなくて、本当にどうしていいんだろうって感じでした。本当につまらなくて、今、耐え切れば、大学にいって楽しくなるかなっていう希望だけを糧にして生活していました。反対に学校でそういう風にものすごく抑圧されていたので、家に帰ってからPCと向き合うって時になると集中できたんです。だから、その時に興味を持てていたHTMLとCSSを学習しまくってました。仕様書を読んで、できるだけその意図を解釈して自分の中に取り入れるっていうのに興味を持ってやっていて、学習の過程とか考えてわからないこととかを日記として書いていくうちに、IRCに誘われてとかでネット経由で人と出会い始めたんです。で、その時に出会った人と今でもつきあいがあって、お陰さまで割と今は楽しいんです。
    川井:なるほど。
    佐藤:学校でも実際は全く会話する人がいないというわけではなくて、ある程度話すクラスメイトとかはいたんですけど、深く話をする友達ではなかったし、興味を持っている方向も全然違ったので、家に帰ってからネットでというのがメインでした。インターネットの力っていうのを少しずつ感じ始めたのもその頃からですね。
    川井:インターネットの力って具体的にはどんな風に感じているんですか?
    佐藤:学校みたいに小さなコミュニティではなくて、もっとインターネットで広い範囲で社会がひらけていて世界が広がるって感じられたのが大きいんです。
    川井:それは大きいでしょうね。
    佐藤:そういう広い世界を見せてくれて、面白い人達を発見できるインターネットに対して、少しでも恩を返していかないとなって感じです。
    川井:その頃ってどんなプログラムを書いていたんですか?
    佐藤:その頃は、実はあまりプログラムを書いていなくて、HTMLとCSSでデザインっていうのが一番自分の頭にありました。でもやっているうちにプログラミングもできないといけないのかなっていうのが出てきて、プログラミングを更めて始めてみるとすごく楽しかったので、そっちに傾いてきたんです。それで気がついてみたら、いつの間にかプログラミングばかりやっていたって感じですね。
    川井:なるほど。
    佐藤:サイトを作るのも、やっぱり高校で嫌なことがあって、何故、今こんな嫌な気持ちにならなくちゃいけないんだろうって思っていたときに、愚痴を言える友達もいなくて、表現の場がなかったんで、じゃあネットに書くかって感じでした。インターネットにできるだけ正確に記録しておいて、後から見直して、それを繰り返さないようにしようって思っていました。
    川井:それは、非公開でやっていたんですか?
    佐藤:いえ、公開していました。
    川井:反響とかはあったんですか?
    佐藤:直接的な反響はないんですが、少しずつ読んでくれる気配があるんです。リファラとか。基本的に気配だけで、ほっといてもらえたのは良かったです。それが、嬉しかったです。直接的に反応がなくても誰かが見てくれていて、もしかしたら同じ気持ちを持っている人がいて、多少なんか感じとってもらえればいいかって感じでした。
    川井:その頃からそこまで考えていたんですね。私の頃はネットがないんで、学校が唯一のコミュニティですからね。
    佐藤:今でもそういうのは強いですよね。学校はやっぱり最重要なコミュニティだと思います。でも、そこでうまくいかなくて、はずれてしまったとしても、インターネットっていうのがあって、世界を広げられるっていうのが分かっていればどうにかなるかなって感じです。
    川井:なるほど。でも古い人たちってネットは犯罪の温床だとか、危ないとかいって遠ざけるじゃないですか、あれはどう見ていますか?
    佐藤:うまくいえないんですけど、遠ざけるべきではないと思っています。初期のインターネットを始める前の教育が大切だと思うんですよ。うちの親からは「あまり人を信じるな」って教えられたこともあってか、僕自身がインターネットは危ないっていうのがそもそもあったんです。書く前に同じようなことをやっている人たちのものをまずは読んで、それでどれが嫌な反響を受けているかをみていたんです。例えば、「2ちゃんねる」を見ていると、やっぱりすごい嫌なコメントとかがあるけれど、でも嫌なコメントを受ける側に共通点がないかっていうことを頭の中でずっと考えていて、そういう風にならないようにしようって心がけていました。どうにかして批判をかわしていこうみたいな。
    川井:リスクヘッジはしていたんですね。ブログなんかも問題があるから炎上しちゃうんでしょうからね。
    佐藤:そうでないのもあると思います。でも急激に目立ちすぎてしまうと、それに反感を持つ人って絶対にいるので、ゆっくりゆっくりやっていくしかないなって思いますね。
    川井:使い方なんですよね。勿論、盲目的に信じては駄目なんでしょうけどね。
    佐藤:そうですね。そのあたりはまだ自分自身、考えている最中ですね。自分の場合は割と大丈夫だったけど、他の人に薦める場合は大丈夫かっていうのは問題ですよね。すごく難しいですね。もし薦めるんであれば、見届けてあげないといけないし、責任を持たないといけないと思います。
    川井:安全なネット社会が作れればいいですよね。
    佐藤:一言間違っただけですごい叩かれるし、インターネットって怖いです。
    川井:その比が学校のクラスで辛い目に遭う比じゃないですからね。
    佐藤:そうなっても実名じゃなければ大丈夫ですけど、段々そうもいかなくなってきますから。
    川井:実名とかを公開していないから、つい変なことを言ってしまってっていうパターンもあるし、難しいですよね。
    佐藤:自分の場合、実名を公開していなくても、cho45っていう名前で活動している積み上げってあって、間違ったことを言ったとしたら、実名を公開していなくても、この名前を使い続ける以上、どうにかしなくちゃいけないんですよ。そうなってくると実名とあまり変わりないですよね。
    川井:cho45っていつくらいからのハンドルネームなんですか?
    佐藤:それは高校くらいからですね。最初は、C12H22O11って長かったんですけど、それだとIRCをやるときに長すぎたんです。IRCは9文字までだったんで、じゃあ短くしようってことで、数字部分を合計して45にしたんです。
    川井:この、C12H22O11の意味はなんなんですか?
    佐藤:「砂糖」を化学式にすると、C12H22O11なんです。ずっと「砂糖」っていうのでネトゲとかをしていたんです。「佐藤」もここからきてます。
    川井:なるほど。
    佐藤:「佐藤」っていうとあまりユニークじゃないから検索しにくいですよね。それはそれでよくて、検索してほしくないところでは「佐藤」を使って、ユニークにして検索性を出すときは、cho45っていうのを使っていたんです。
    川井:なるほど。ネトゲは何をやっていたんですか?
    佐藤:ラグナロクオンラインをやっていました。そういえばネトゲから学ぶことも結構ありました。ラグナロクオンラインはぶっちゃけ、まったくよくできたネトゲじゃなくて、サーバーのモデルがユーザー側から見えるんですよ。例えば、ある地点にいくとサーバーが切り替わるから魔法の効果が切れるみたいなのがあるんです。そうすると段々サーバーのことを意識するじゃないですか。しかもよく落ちるんですよ。すると今、どれだけ人数がいて、負荷がかかって落ちるんだっていうのが把握できますよね。それまでコンピュータってなんとなくいくらでも処理できると思っていたので、そうじゃないんだってのが分ったのは大きいです。
    川井:外部ツールとか作ったりもしましたか?
    佐藤:作ったりはしなかったんですけど、そういうのもいっぱいあったので、勉強したりはできましたね。メモリを直接呼び出してそれに対して反応を返すみたいなことができるんだとか、ローレベルな部分のネットワークの知識とかが少しつきました。あと、普通にネットワークをやっているだけだとラグって感じないですけど、ハッキリとラグを感じられたのは面白かったです。そういうのって重要だと思うんですよね。やってるときはウザいんですけど(笑)
    川井:そうですよね(笑)
    佐藤:でも、ウザいのを解決するためにどれだけの苦労があるかっていうことが少しずつ分かってくるんですよね。その、高校時代には分からなかったことなんですけど、サーバーソフトウェアを作ったり、他の人のスケーリングの話を聞いたりすると、めちゃめちゃ大変はことなんだなっていうのが、ネトゲでの経験とリンクして、より現実感があって興味を持てるんです。
    川井:なるほど。確かにヒントになりますよね。ネトゲやっている人ってエンジニアが多いですよね。私が6年もやっているGNOだって、オフ会とかいくとエンジニアが多いですもん。もうGNO2とかその次も出ているのに、最初のバージョンにこだわってやっているんですけどね(笑)
    佐藤:6年ってすごいですね(笑)でも、ラグナロクオンラインも古いのにもかかわらず、ずっとやっている人がいますね。自分も時々やりたくなって時々ログインしたりしています。
    川井:まだアカウントを残しているんですか?
    佐藤:一度消してしまったんですけど、もう一度作りました(笑)。その時出会ったギルドメンバーとオフ会をやるみたいなのがあって、それは自分の中では結構感動したんですよ。ずっとオフ会みたいなところには行かない方がいいんじゃなないかって思っていたんですけど、大学に入って何度かオフ会とした後にその人たちと普通に会ったんです。それで「なんか普通に会えるな」って思ったんです。それが面白かったですね。
    川井:ゲームのときに持っていたイメージとオフ会で会ったときとのギャップが大きくて、意外だなあっていうのもありますよね。「なんで女性が2人いるんだろ、はて?」とか思ったこともありますよ(笑)
    佐藤:ありますね。でも何年もやっているとゲームのときの人格とリアルな人格って隠し切れないんで、混ざってきますよね。そうなると、あ、こいつはあいつだなっていうのがちょっとずつ分かってくるんで、そういうのも楽しいですよね。「この雰囲気は、もしかして、○○さんですか?」みたいな(笑)
    川井:それも、ありますね。


    次に紹介したのは→ ※現在オファー中!!乞うご期待!!
    これを読んだあなたに
    オススメの会社は→

    面白法人カヤック



    ページ上部へ戻る

    ホーム